1 2 3 4 5



メモリー






5


 私は目の前にいる若い未亡人に、自分がここへ来た経緯を話し、続けて、生前の今嶋氏は妻の手料理を愛していた筈だという、私の推測を述べた。すると彼女はその瞳に、にわかに涙を湛え、こう言った。
「あの人は、どんなに仕事が忙しくても、夕食の時刻には帰ってまいりました。食事が済めば会社へ戻らなければなりませんから、夕食に戻って来ることが、かえって忙しくさせていたに違いありません。外食で済ませても良いのですよと、申していたのですが…、それが、あの人の思いやりだったのでしょうね。
 ふたりでここへ住み始めた頃は、家のことをよく手伝ってくれましたから、それが出来なくなって、せめてもの償いと、思っていたのかもしれませんわ。あの頃は、休みの日にはよくふたりで餃子を包みましたわね。いつかお休みがいただけたら、また一緒に餃子を作ろうねと言いあっておりましたけれど、それが、あのように突然亡くなってしまったものですから、とうとうそれすら叶いませんでした。」

 若い未亡人はお茶を勧めてくれたが、私は丁重に断り、それではと挨拶をして今嶋宅を後にした。奥の部屋から幼い顔が二つ、心配そうに覗いていたのだ。甘辛い夕餉の匂いがした。

 人工知能に出発を告げると、狭い路地で鮮やかに方向転換してみせ、もと来た道を走り出した。
「どちらへ向かいますか?」
「とりあえず、T社へ向かってくれ。」そう告げながら、運転席のシートを後ろへ深く倒した。サンルーフを開くと、星空が見えた。
 人工知能は――と、私は考え始めた。人間と同じように、命令と遂行の反復を通じて学習する。人間との違いは、生産された時点で、すでに単純な命令なら遂行できる程度に出来上がっているという点だ。人間の成長する過程に置き換えてみるなら、たとえば、小学校を卒業するまでの過程が、生まれてくる前の脳に予め焼き付けてある。
 人工知能に焼き付けられる「過程」は、生産される全ての製品において同一であり、それを作ったのは人工知能の開発者である。今嶋氏は、全ての人工知能にとっての、小学校までの育ての親に相当するわけだ。
 今度の一件のように、ある判断が開発者に依存して偏ってしまうことが、問題でない筈はない。しかし一方で、教育の過程において、親が子に真実を伝えない道理はない。少なくとも今嶋氏にとって、「一番の餃子」が「我が家の餃子」であったことは、紛れもない真実だったのだ――。
 とりあえず、考えたのはここまでだ。問題を解決するのは、明日にすると決めた。運転を任せた運転席で、ぼんやりと両手を頭の後ろで組む。今嶋氏と若い妻が仲睦まじく餃子を包むところを想像したり、人工知能を搭載した車がみんな今嶋宅に集まってしまうところを思い浮かべて、不謹慎にも吹き出したりしながら。郊外ではより鮮やかに見える星空を眺めていると、ときどきナトリウムランプの橙色が、流星のように突っ切ってゆく。
 結局、その夜の食事は、洋食に変えた。(了)

End






7.7.2008 - A work of fiction written by Sato.