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メモリー






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 夕方六時、私は試験室を兼ねたガレージにやってきた。試作四号車は実質的にはバックアップ用であり、空いていることが多い。私が専ら乗り回しているのが、この四号車だ。
 ガレージは無人で、耐久試験中のため一号車のエンジンが低く唸り続けている。計測器のランプが薄暗い中で明滅している。壁に取り付けられたナンバー・ロックに暗証コードを入力し、四号車の鍵を取り出す。車のドアを開いて、運転席へと乗り込むと、オペレーティング・システムがスリープ・モードから目覚める。自分でエンジンをかける必要はないので、鍵は胸のポケットにしまう。
 夕食に出かけよう。あとで会社へ車を戻しにくるのが億劫だが、乗り心地の快適さに比べたら、秤にかけるまでもない。
「お疲れ様です、佐藤さま。」
 オペレーターの声は年配の男性を選択してある。若い女の声なんかも選択することは可能だが、長いこと聴いていると気疲れするので苦手だ。まあ、好みの問題だろう。
「どちらへお出かけなさいますか?」
「夕食。ええと…」
 ――夕食は餃子にしよう、そう思っていた。餃子にビールなんて最高じゃないか。法律上、運転手はビールを飲んではいけないことになっているが、この半自動運転システムを利用する場合に限っては、許可してくれても良さそうなものだ。
 そんなことを考えながら行き先の指示をしたのだが、私はミスを犯してしまった。私は「餃子、一番」と言うべきだった。この二つの単語による命令は、ずいぶんと略式である。まず最初の「餃子」は、餃子が食べたいという意思であり、人工知能はその意思を汲み取って、餃子が食べられる店をリストアップする。次の「一番」は、リストアップした店を、距離、価格、インターネットでの検索結果における出現数などの要素から、運転手のそれまでの選択の傾向を加味して並べ替えた結果、最も上位にくる店を選択せよ、という意味である。リストの並べ替えには数秒かかるので、次の命令を先行して入力しようとしたわけだ。ところが私は、口がすべって、次のように命じてしまった。
「一番の餃子。」
 あわてて命令を取り消そうとしたが――私は考えてしまった。一番の餃子って何だろう。普通に解釈すれば、一番おいしい餃子だろうか。それを人工知能の「主観」に任せれば、どうなる?
 少し間を置いて、エンジンがかかった。人工知能は、無効な命令は拒否するように作られている。つまり、命令が受け入れられたのだ。

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7.7.2008 - A work of fiction written by Sato.