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メモリー






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 U社が開発した半自動運転システムは、九割がたの試験を終え、実運用試験の段階にあった。八年にも及ぶ工期のうち、およそ半分が、試験のために費やされた。数多くの機能が新たな試みとして導入されたが、先進性に比例してリスクも大きかったのだ。地形や車間距離を把握するレーダー・システム、部品の経年劣化を自動でフィードバックする速度制御装置、光学による路面状態の監視システム、音声認識を軸としたマン・マシーン・インターフェイス、それら全ての状況をフィードバックし制御する人工知能――。
 開発プロジェクトにおいて最も先行きが不透明だったのが、人工知能の開発だった。ハードウェアに関する要件は、開発初期の段階でクリアできたが、問題はソフトウェアだ。搭乗者の命令を理解し、それを達成する手段を、状況に応じて模索する。また、命令と遂行の反復を通じて、例えば大雑把な命令でもそれなりに達成するというような、学習機能も要件になっていた。
 さらに、搭乗者が複数の場合、同時に発せられる複数の命令を聞き分け、いかに調停し、平和的に解決するか。これは機械が最も苦手とする問題のひとつだ。
 当然、搭乗者の安全を守ることは全てに優先しなくてはならないし、同時に、自動車としての機能の維持は自立的に行わなければならない。平たく言えば、ガソリンが切れそうになったら、適当な頃合を見計らって給油しておかなくてはならない。「切れそうになったら」「適当な頃合を見計らって」などという曖昧な要件をいかにして満足しているのか、実は私自身もあまり理解できていない。仕組みが理解できない物の開発を許可するというのも、はたから見ればどうかしている。名目を「半自動運転システム」としたことが、万が一の場合の逃げではあった。

 人工知能の開発チームの中心人物は、今嶋氏という技術者だった。――彼は、ソフトウェアの完成を目前にして亡くなっていた。いわゆる過労死だ。彼の死は、新聞などのメディアにも小さく取り上げられた。発注先の社内でのことなので詳しくは知らないが、当時、開発チームとは名ばかりで、彼のワンマンだったと聞いている。即戦力の触れ込みで集まったスタッフが、実はズブの素人ばかり…よくある話だ。
 事情はともかく、開発者の死によって、プロジェクトは大きなリスクを孕むこととなった。もしも試験中で人工知能のバグが見つかれば――それも、プログラムを根本から見直さざるを得ないような大きなバグが見つかった場合、修正が困難であることは目に見えていた。連動試験を開始した当初は、「半自動」の定義をどこまで落とすことになるだろうかと、気を揉んだものだ。
 しかし、その心配は杞憂であった。バグはそれなりには見つかったものの、ある程度ソフトウェア開発の経験がある者なら、修正が可能な程度だった。また、やむを得ず周辺の仕様を変えざるを得ない状況に陥ったとき、処理の効率よりも汎用性に重きを置いた設計に助けられた。死してなお、開発者の存在を感じた瞬間だった。

 色々なことがあったが、長かった試験の日々は、終わりに近付いている。焦る必要はない。残りの試験は順調に消化されており、責任者である私としては、退屈なくらいだ。やがて期日が来れば、量産試作が始まり、プロジェクトは私の手から離れてゆくことだろう。ようやく肩の荷が下ろせる安堵もあるが、同時に寂しさもある。なにしろ八年だ。八年かけて育てた我が子を里子に出す親の気持ち、と喩えては大げさすぎるだろうか?
 この二週間ほど、私は名残を惜しむような気持ちで、試作車をちょっとした外出に使っている。職権乱用と言われそうだが、評価の一環とでも言っておけば咎める者もないだろう。実地での試験も回数を重ね、殆ど何の心配もなかった。

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7.7.2008 - A work of fiction written by Sato.