白く広がる。

 

 周囲に広がる森も、社も塗りつぶす絶対的な無垢。

 

 色を失ったかのような情景を前に、佇む少女が一人。

 

 もともと山間部に位置していたこともあり、雪化粧された神社の風景はさして珍しくもない。が、目の前の雪の量は、彼女の想像を絶するものがあった。まるで神社を飲み込むかのようなこの量は、雪化粧というには厚化粧が過ぎる気もする。

 

 そんな今朝の光景に、少女は常ではない感慨を覚える。

 

 その感情のままに、唇が言葉を紡いでいた。

 

 「死ぬかと思った」

 

 かじかんだ手をこすり合わせながら、とりあえず日常に回帰できる安堵感をかみしめていた。

 

 少女の視線の先には、雪原にシュールに突き立つ雨戸。

 

 それを確認して、ほっと一息ついた少女は、八当たりするように虚空を睨みつける。そこには何もないのだが、少女の態度に反応するように、微かに笑いさざめくような気配が伝わって来た。如何に彼女とて、姿を隠した神を引きずり出すことは出来ない。力を引き出すこととは勝手が違う。

 

 しかし、こちらの主張を伝えることは簡単だ。この状況であの神々がこちらを見て意地の悪い笑みを浮かべていない道理もないから、ただ『前』を見て睨みつけるだけでよかった。

 

 「まったく」

 

 朝っぱらから疲れてしまったが、一日は始まったばかりだ。

 

 守谷神社の風祝、東風谷早苗は気を取り直すように大きく伸び上がった。

 

 

 

 半刻ほどのち。

 

 「ごはん、ごは…あれ?」

 

 「ご苦労様、早苗…って、やたら少なくないかい?」

 

 神様とて、腹が空いては戦もできぬ、かどうかは知らないが、二柱とも良く食べる。今日も今日とて、呼んでいなくても食事時にきっちり顔を出す。が、食卓に並べられた分量はきっりち一人前。それどころか、それ以上の分量を決して許さない、という気迫のようなものすら感じられた。二柱は顔を見合わせると互いに首を傾げ、その瞬間に背筋が凍るような悪寒が駆け抜ける。

 

 「おはようございます」

 

 顔を向き合ったままの二人は、お互いの顔が本能的な恐怖に怯えている小動物になっているのを見た。

 

 外に降り積もる雪よりも冷たい朝のあいさつなど、この世に存在してよいわけがなかった。しかし、現実は残酷で、あってほしくないものであろうと関係なく存在する。

 

 「よい朝ですね」

 

 声を聞くだけで目の前に猛吹雪の幻覚が見える気さえした。その声に神様も凍りついたように、振り返ることすら出来ずに木偶のように立ちつくす。しかし、いつまでもそうしてもいられない。覚悟を決めて振り返る。恐怖のあまり、軋む音が響きそうなほどにぎこちない動きは、いっそ憐れを誘うほど。

 

 そこには笑顔。恐ろしいほどの。

 

 二柱の危惧した通り、最大級の怒りの表情。

 

 早苗は何も言わない、ただ笑顔を浮かべるのみ。ただただ、ひたすら笑顔でいる。そして、そこに何もいないかのように、するりと二柱の間を抜けていく。

 

 「あ、あの、早苗…さん?」

 

 神奈子が恐る恐る声をかけても、満面の笑みで振り向く。ただ、それだけ。

 

 (ひゃっ…)

 

 背中に大量の雪を放り込まれたような悪寒に、思わず漏れた悲鳴を何とか口の中でとどめる。本能的に涙腺まで緩み始めた。諏訪子はと言えば恐怖のあまり既に目に涙が浮かんでいる。長らく神として存在しているが、温かみがないどころか、こちらの体温まで奪うような冷たい笑顔など、他に見たことがなかった。

 

 こうなってしまうと、もはや早苗の氷の心が溶けるのを待つしかなかった。怒りが静まるまで、早苗は何時間でも、何日でもそのまま笑顔を浮かべ続けているだろう。ついでに、ご飯はお預けである。

 

 果たして、怒りが静まるまで、こちらの精神が保つだろうか。

 

 神奈子が割と真剣に懊悩していると、思わぬ救いの手が差し伸べられた。

 

 「早苗〜、居るかしら? というか生きているかしら?」

 

 

 

 

 

 「こんなに朝早くから、珍しいですね」

 

 食卓には、二人分の食事が並べられた。霊夢がまだ朝食を食べていないということで、早苗が大急ぎで準備をしたものだ。神様の分は、当然のようにない。

 

 「昨晩の雪が結構激しかったから、一応ね。氷づけになられても寝覚めが悪いし」

 

 霊夢が妖怪伝に聞く外の話と、幻想郷の自然の力。そのギャップはかなり大きくなっているようだった。幻想郷に来て間もない早苗がギャップに飲み込まれかねないと思った霊夢は、様子を見に来てくれたということらしい。

 

 霊夢の心遣いに、早苗の氷の心も溶け始めていた。

 

 「ありがとうございます。今朝、さっそく自然の厳しさに襲われてたところです」

 

 感動のあまり涙が出る思いだった。

 

 早苗は、今朝の起き掛けのことを思い出す。

 

 朝起きて寝ぼけながらも、いつものように雨戸を開けようとしたが、開けることが出来なかったのだ。そこで一気に目が醒めて、一先ず大パニックに陥った。

 

 開かないと主張する雨戸をしばらくガタガタと揺らしていたが、別に出入り口は雨戸に限らないことにはたと気づく。

 

 異常な寒さに震えながら、とりあえず明かりを灯そうとして、屋内が真っ暗で手元もよく分からないことを、そのときはじめて把握した。暗く、足取りもおぼつかないまま玄関に向かったがこちらの戸も開かない。外の状況を把握しようにも、閉ざされた戸の向こう側を知る術がなく、大慌てだった。

 

 そんな朝の一大事を抜けるための苦肉の策、「その結果があれなんです」と早苗の視線は外を指す。

 

 霊夢がその視線を追いかけると、雪原にシュールに突き立つ一枚の雨戸。

 

 最終的に業を煮やして、能力づくで撥ね飛ばした雨戸は、奇跡的に破砕されず、そのままの形を保ったまま飛んで行って、そのまま地面にほぼ垂直につき刺さったのだ。あれなら、雨戸を新調するまでもなく、また使えるだろう。

 

 「寒かったんです。暗くて冷たくて、どこからも外に出れなくて…本当に死ぬかと思いました。それだというのに、この方たちときたら…」

 

 早苗は、叱られた子供のように立ち尽くす二柱を睨みつけた。

 

 「…神は人に試練を与えるものなのよ」

 

 「白々しいこと言わないでください」

 

 ぴしゃり。

 

 神奈子の主張は一瞬にして終了した。

 

 「その辺で許してあげてよ。神奈子も反省してることだしさ」

 

 「諏訪子さまぁ?」

 

 御神渡りが起こる寸前の湖面のような笑みに、諏訪子は思わず肩を震わせる。早苗は、諏訪湖の方が大笑いしていることを気配で感じ取っていた。

 

 それでも、返事が返ってくるだけ先程よりはだいぶまし、と二柱の表情にはあからさまな安堵感がにじみ出ている。その様子を交互に見やる霊夢は、不思議そうに首を傾げるが深く聞こうとはしなかった。

 

 「そんなことがあった直後にあれだけど、こちらの生活はどうかしら?」

 

 まぁ、いい機会だから、と霊夢が質問をよこす。

 

 「慣れてきたと思っていたんですけどね」

 

 思わず苦笑が漏れる。秋口という過ごしやすい時期にこちらに来たため、自然が振るう猛威については何も警戒していなかった。諏訪子が埋まりそうなほど、大量に落ち葉が積もったときには、流石に面食らったが、それは実害もなかったし。

 

 「山は特に自然の力が強いから」

 

 それは早苗も感じていたことだった。幻想郷では妖精は何処にでも存在しているが、この守矢神社の周囲で見る妖精は、格別力を持っているように思われた。妖精の力は、すなわち自然の力だ。

 

 「それはそれとしても…なんて言ったらいいんでしょうね。不便もないわけじゃないんですよ」

 

 十数年のうちに染みついた、文明社会への依存はそう簡単に消えてはくれない。特に非常事態ともなると尚更だった。今朝も、明りを灯すまでどれだけ手間取ったことか。

 

 「ただ、ここはある意味で安らげる場所みたいです。自分で気づかなかっただけで、今まで…外での生活は息の詰まるものだったんですね」

 

 早苗は先刻の氷の笑顔とは違う、柔らかな笑みを浮かべた。

 

 「外の世界においては、私は枠の外の存在だったのでしょう」

 

 神奈子は、何かをこらえるように微かに眉を顰め、諏訪子は悲しい笑みとともに目を伏せる。

 

 早苗の力はやはり稀有なもので、ここ幻想郷に在っても普通というわけではなかった。妖怪を交えたとしても非凡な力の持ち主であることには変わりない。しかし、それだからといって周囲が騒ぎ立てることもない。霊夢に――幻想郷に住むものにとっては当たり前のことだが、早苗にとってそれは得がたいものだった。

 

 「確かに外にはいろいろなモノを置いて来ました。それでもこちらに来てよかったと思います」

 

 少しの後ろめたさと、沢山の感動と、自分の居場所を見つけた安堵。そんなものが交じり合った言葉だった。

 

 「そう。それはよかったわ」

 

 「それにお二方も、妙に生き生きしていますし」

 

 と、二柱を見やる。残念ながら、早苗の声は未だ冷たい。

 

 さすがに立っている事に倦んだようで、宅の前に座している。諏訪子はいつの間に手にとったのか、口から湯気を吐く急須を手に、お茶を入れている。

 

 いろいろと話しつつも、二人ともしっかりと朝食を平らげていた。

 

 「そうい……」

 

 お茶を手に、早苗が何かを言おうと口を開いたところで、急停止する。耳を澄ますように、何かを探るように視線が右上に向く。

 

 何も言わず、渦巻く風とともに、早苗はその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 「今日は、考古学日和だな」

 

 白の中に佇む、白と黒――霧雨魔理沙は雪の照り返しに眩しそうに目を細める。まだ雪かきもされていない参道は雪に埋もれて、ただの雪原と化していた。次いで社を眺めるが、そちらも半分雪に埋もれているようだ。

 

 それこそ人に忘れられた廃墟のようなたたずまい、と見えないこともなかった。

 

 「そんな日和など聞いたことがありませんよ」

 

 「お?」

 

 誰ともなく呟いたはずの言葉に返事があり、魔理沙は目を丸くする。

 

 ふと、目の前を風が渦巻き、舞う雪煙の中に人影。

 

 「どんな日和も人が決めるんだ。わたしが決めても問題ない」

 

 「また、家探しするつもりですか」早苗は呆れまじりに問いかける。「また、とは失礼だな。まだ、未遂までだぜ」

 

 魔理沙はといえば、しゃあしゃあと言葉を返す。ただ、返してはいるが返答はしていない。それはいつものことであるが早苗は溜息をつく。朝もまだ早いが、取り合っていたら日が暮れてしまう。

 

 「こちらが迷惑という観点では、意思があれば同じですよ」

 

 「そうだな。わたしがやることも同じだ」

 

 寒いのは苦手らしく、着膨れするほど着込んでいる服の懐から、八卦の火炉を取り出した。

 

 「それで暖でも取るんですか?」

 

 その様子が心底不思議そうに見え、魔理沙は呆れたように肩を落とす。

 

 「早苗…今本気で言わなかったか?」

 

 「失礼な! そこまでアレじゃありません」

 

 魔理沙は、疑いのまなざしを取り下げようともせず、八卦炉を目の前にかざす。

 

 「まぁいいさ。どのみち暖を取るのは、お前さんの方だ」

 

 言葉とともに、魔理沙の周囲に青い輝きが布陣した。その数四つ。

 

 「ひどい、私のこと嫌いなんですか?」

 

 早苗は、魔理沙の周囲に展開したオプションを見て思わず涙目になる。

 

 「そのセリフの後で、C装備を出すなんて! この寒いのに…」

 

 「あ、あれ。間違えた。これ、実際はわたしが一番寒いんだぜ?」

 

 「へぇ。豆知識ですね。というか、それは失敗作なのでは?」

 

 早苗の言葉が聞こえているのかいないのか、決まり悪そうに頭を掻くと、魔法使いは再びオプションを展開する。

 

 今日はレザマリな気分だったようだ。確かに、当たれば存分に――そして過剰な暖を取れるだろう。もちろん早苗にはそんな方法で暖を取る気はさらさらなかった。

 

 二人は、対峙する。場の集中力が一気に高まる。

 

 先に動いたのは、早苗。

 

 幣を高々と振り上げると、足元に描かれる五芒の陣。その各頂点にさらに五芒の陣が生み出され、弾ける。

 

 しかし、その力は言わば布石。五芒の陣によって集められた五行の力を互いに相克で結ぶことで、風を打ち消す属性の力が打ち消しあわせ、風の力がより強く発揮できる場を形成する。

 

 ついでに五行の打ち消しあいの、その余波が力となって全方位に放たれる。

 

 魔理沙はそれを何事もないかのように回避し、呼応するようにレーザーの応射をする。が、そのレーザーもいつもの切れがなかった。

 

 「くそ、力が集まりにくいぜ」

 

 五行の影響とは別に、五芒の破魔の力で場の秩序が増すと、場の無秩序を力とする魔術の類は、本来の力が出せなくなる。早苗は初手のみで、場の優位を得ていた。

 

 魔理沙は、星を模した弾幕を牽制にばら撒く。早苗は、踊るようにそれらを回避しては、風の応射を見舞ってくる。

 

 その動きと狙い打ちの弾に注意しつつ、自身の弾幕を見やる。レーザーは力を集めて放射された瞬間に物理的な力に変換されるため、発動場所の状態にのみ影響される。一方の星弾は、対象に触れた瞬間に炸裂する魔力弾。常に破魔の効果が及ぶため、内と外で弾が何かしら――弾速や、大きさなどが――変化するはずだった。

 

 魔理沙は、星弾をセンサとして、破魔の効果範囲を探ろうとしていた。

 

 効果範囲外に出てしまえば、少なくともレーザー系は破魔の影響も受けない。

 

 しかし、自身の弾を注視しすぎた。早苗は、魔理沙の様子に気づき、次いで星弾の特性の推測から、魔理沙の狙いとするところ察した。それを阻止する、次の一手を即座に打つ。

 

 ヒュッ――。

 

 魔理沙を大きく囲むようにして、風が渦を撒いた。威力と呼べるほどの強さはない。ただの強い風といったところだが、魔理沙は忌ま忌ましげに風を見やる。

 

 「対応が早すぎるぜ。そんなに慌てなくてもいいのにな」

 

 魔理沙自身には実害のない風はその代わり、周囲のまだ踏み固められていない雪を盛大に舞い上げる。あっという間に魔理沙の周囲は雪煙が立ち込める。遭難者よろしく視界を奪われたのは魔理沙。どうにか早苗の気配を探ろうとするが、それより早く突如ホワイトアウトが割れた。

 

 魔理沙の右前方、舞い上げられた雪の壁の向こうが、そこだけはっきりと見て取れる。そこにいるのは幣を振り下した姿勢のまま笑顔を向ける早苗と、一直線に飛んでくる刀剣のごとき風の刃。

 

 「『海が割れた日』か!」

 

 「遭難者を救う、奇跡の道です」

 

 刃は一筋、などと可愛げのある量ではなかった。無数の刃が魔理沙を襲う。

 

 「遭難者は労ってくれよ!」

 

 どうにか避けきった魔理沙が顔を向けると、道は既に閉ざされていた。遭難者の声は残念ながら、吹雪に遮られたようだ。周囲に渦巻く風は複雑なリズムを刻み、舞い上がり舞い落ちる、を繰り返す雪が絶えず視界を塞いでいる。

 

 「なら、こっちはこっちのやり方で蹴散らすまでだぜ」

 

 再び道が拓かれる前に、と魔理沙は八卦炉に捻りを加えつつ上に放り投げる。と同時に、自身はしゃがみ込んだ。

 

 「蹴散らせ!」

 

 ちょうどその瞬間、奇跡の道が再び開き、早苗と目が合う。

 

 今回、笑みを浮かべたのは魔理沙の方だった。早苗は魔理沙と八卦炉を交互に見て、咄嗟に上空高く飛び上がった。

 

 まさにその瞬間、八卦炉の側面から四方に向かってレーザーが伸びた。レーザーはそれほど太くもなく、静止した状態なら狭い範囲の攻撃にとどまっていたのだが、それは回転しているため、容赦ない全方位攻撃となる。

 

 「っひゃっ!」

 

 回転レーザーが来ることを推測して、安地である魔理沙の真上に行こうとしていた早苗の足元をレーザーがかすめる。咄嗟に足を跳ね上げる早苗。跳ね上げて跳ね上がるということは、早苗は飛ぶときに胴体を起点としているようだ。どうでもいいことだが。

 

 しかも、八卦炉の回転は魔理沙が放り投げているときにひねりを加えているだけ。加えてレーザーの出力が四方とも微妙に揃っていないため、さらに回転軸が大きくぶれる。もはやレーザーの軌道は魔理沙本人にも予測不可能。

 

 指向性を――指向性という言葉そのものをも全否定するかのような、いろんな意味で酷くて物凄い攻撃だった。

 

 確実なことは、魔理沙の作戦は功を奏した。周囲に立ち込めていた雪は、地面のもの諸共、大部分が溶け消えている。

 

 ついでに、魔理沙は狙っていたわけではないが、外で疑似吹雪を起こしている早苗からも、魔理沙が見えない。軌道もでたらめな爆発のような広範囲攻撃で、発動の瞬間すら見えなければ、回避は不可能だ。

 

 偶然発動の瞬間に道が出来ていなければ、早苗は回避できなかっただろう。

 

 八卦炉は、レーザーの出力が途切れると、落下し魔理沙の手のひらに納まる。

 

 魔理沙が周囲を見渡すが、早苗が撃墜された様子はなかった。

 

 「運のいい奴」

 

 そう呟きつつさらに周囲を見回すと、早苗は空中に静止していた。

 

 瞳を閉じ、何かを呟きながら幣を振るう。

 

 (ん? 刀印…か?)

 

 魔理沙は、その手のことには疎かったが、割と有名な九字は知っていた。手で印を結ばず、刀印で結ぶ早九字と呼ばれるそれだろう。

 

 などと見ている場合ではなかった。

 

 早苗が幣を振り下すと魔理沙の横を刃のごとき風が一直線に行き過ぎ、薙ぎ払うと魔理沙の前方を風の刃が疾りぬける。それは碁盤の目を刻むように、等間隔を保ちながら急速に魔理沙に近づいていた。

 

 「げ!」

 

 奇怪な声とともに、魔理沙は慌ててその場を飛びのく。

 

 魔理沙が一瞬前までいた空間は、正面と側面から迫り来る刃の交点となっていた。目前を、左肩を風の刃がかすめ、前髪と裾の一部を強奪しながら行き過ぎる。地上を碁盤の目のように切り裂く風の刃は、右後方に疾りぬけた。

 

 「印を結ぶか、攻撃するか、どっちかにしてほしいぜ、まったく」

 

 九字そのものもきっちりと成立しているため、ますます魔理沙の力が弱められていることが恨めしい。

 

 しかし、さらにそうぼやいている場合でもなかった。

 

 九字によって精神集中が極限まで達した早苗の周囲には、渦巻く大気。

 

 早苗が幣を高々と掲げると、それが弾かれたように放たれた。

 

 地上のもの一切を張り倒さんばかりのそれは、風というよりは衝撃波。

 

 先の、風の刃で削られた石畳の破片を巻き上げながら、早苗を中心として放射上に急速に広がり、一気に魔理沙まで迫る。

 

 「うわっ」

 

 一瞬、粉塵が薄くなった箇所があった気がして、魔理沙は咄嗟にそこに飛び込んだ。とんでもない烈風が体を叩くが、魔理沙が気づいた通り、そこは風が弱いポイントだったようだ。

 

 姿勢を立て直しつつ周囲を見回す。風の衝撃で石畳が割れていたりするのを見つけた魔理沙は、流石に口元を引きつらせる。

 

 「おいおい…」

 

 早苗はというと、そんな魔理沙に様子にも気づかず、既に再び九字を切りはじめている。

 

 「案外、とんでもない奴だな」

 

 直撃したときに、骨折くらいで済めばよいが、チョット試してみる気にはなれない威力だ。

 

 碁盤の目を刻むような攻撃が魔理沙の元に届く前に、上空高く飛び上がった。九字はその特性上、一字目の位置を決めてしまうとその後の刀印の配置は殆ど変更できない。従って風の刃は誘導されることはなかった。軌道を読んでしまえば、回避に苦労はしない。ただし、刃のごとき風は高さがあった。上昇は横方向のずれがないように精密にする必要がある。

 

 しかし、魔理沙の元に刀印の風が届かんとする瞬間、同時に衝撃波が放たれる音が響く。

 

 「あ」

 

 地上と違って、上空を疾駆する衝撃波を可視化するものがない。タイミングを外された魔理沙には、対処のしようがない。

 

 ――否。

 

 魔理沙は自身の思考を即座に否定した。ないことはない。

 

 閃きと発動は、同時。

 

 魔理沙は、衝撃波を迎え撃つように、自ら突っ込んでいった。

 

 「え?」

 

 流石の早苗も、ヤケクソにも思える魔理沙の行動に目を見開く。

 

 しかし、早苗の驚愕はそこに留まらなかった。

 

 衝撃波に正面から衝突した魔理沙は、少しずつ押されてはいるものの、衝撃波に吹き飛ばされることなく、拮抗している。

 

 ブレイジングスパーク。

 

 自身が一つの弾丸となって特攻する、カミカゼアタック。早苗相手に使うとは、なかなかに洒落ている話だ。

 

 などと当人が思っているかは知らないが、技の特性上重要なのは術者が無事にいること。つまり、魔理沙が使える最大の防御術式が、この体当たりだった。

 

 風は魔理沙を押し戻しつつも放射状に広がる。魔理沙の力が持てば、拡散する風の力に魔理沙の点の力が勝つのは自明。

 

 長い拮抗の末、魔理沙は風の衝撃波を抜けきった。

 

 体当たりとしての勢いは殆ど失われているため、そのまま早苗に突っ込んでくることはなかったが、さらに上空に向かって疾駆すると、空中で静止した。

 

 位置は、早苗と社を結んだ直線上。魔理沙が元々狙っていた配置。

 

 「さあ、パワー弾幕の真骨頂だぜ」

 

 そこから早苗に向けて、八卦炉を構える。魔理沙の周囲には魔力収束の環状抑制力場、照準、反動を相殺するための魔力放出口、および放熱のための翼状器官などが逐次展開する。

 

 「さあ、避けたら神社が吹き飛ぶぜ」

 

 言うに事欠いてもそれはなかろう、と誰もが思う魔理沙の身勝手発言だった。しかし、言われた早苗は、何処吹く風といった風に言葉を返す。

 

 「ええ、どうぞ。受け止める気もありませんが」

 

 「「えぇー!」」

 

 いつの間にやら、観衆と化していた二柱は驚愕の悲鳴を上げる。人間同士の諍いに手を出すことは暗黙のタブーである。だからと言って、社を吹き飛ばされてはたまらないわけで、神様は、とりあえず早苗の言葉を『売り言葉に買い言葉』と信じるしかなかった。

 

 「なら、遠慮はしないぜ」

 

 宣言通り、魔理沙は何の躊躇もなく、早苗と神社に向かってぶっ放す。

 

 破魔の場の効果を受けているとはいえ、魔理沙のマスタースパークの威力は相変わらず、弾幕ごっこには過分な力だ。本当に、社の一つや二つ、簡単に吹き飛ばせそうだった。

 

 早苗は慌てることなく、マスタースパークの一部を風の刃で断つと、その隙間から出て、あっさりと射線上から身を引いた。

 

 「ちょっ、おまっ」

 

 環状抑制力場の調整で出力範囲を可変することは出来るが、基本的にマスタースパークは一定時間の放射を途中キャンセルすることは出来なかった。早苗がマスタースパークを逸らすか受けるかすると踏んでいた魔理沙は、完全に虚を突かれて茫然と射線上を見やる。

 

 本人が狙った通り、間違いなく神社を直撃・破壊するコースだった。奇跡が起ころうにもその担い手は射線から外れている。

 

 「あはは…」

 

 魔理沙も最早笑うしかない。

 

 その瞬間。

 

 神社の周囲に光が溢れ、すぐさま神社を環状に包み込む光の柱となる。

 

 マスタースパークはその光の柱に衝突した。力の拮抗による放射熱で神社の屋根の雪が溶けるが、破壊力はそこで停止させられている。

 

 「お?」

 

 早苗自身が結界を張った気配はなかったし、神様たちは人の諍いには手も口も出さないし、出せない。その代わりとばかりに、その後の仕打ちがひどかったりはするが。

 

 何事かと、訝っていると、答えは意外な方向から飛んできた。

 

 「今日は、スペシャルゲストが来ているんです」

 

 「あ」

 

 その声に、よくよく神社の方を見ると、紅白のおめでたい色が見えた。ため息をついている仕草まではっきりと分かる。

 

 そして、答えの飛んできた方向に顔を向けると、そこには風祝。

 

 恐ろしいまでの笑顔で、にっこりと微笑む。振り上げた幣が、恐ろしい未来予想図を描かせた。

 

 マスタースパーク放出はまだ終わらない=身動きが取れない。

 

 思わず、口元を引きつらせる魔法使い。

 

 「…お手柔らかに頼むぜ」

 

 早苗の笑みが、一層深くなる。

 

 ――ばしんっ。

 

 

 

 

 

 

 

 「朝早くから、疲れさせるようなことするんじゃないわよ」

 

 「それは早苗に言ってほしいぜ」

 

 熱いお茶をすする霊夢に、早苗の幣の形に赤くなった頬に氷嚢を充てる魔理沙。

 

 「自分でなんとかせずに、避けたあいつが悪い」

 

 「壮絶な責任転嫁ね」

 

 霊夢の言葉を無視することにした魔理沙は、早苗に借りた氷嚢を卓袱台の上に置き、その上に頬を乗せる。まだ痛いぜ、とぼやく白黒少女に言葉が投げつけられた。

 

 「家探しなんてしようとするからです。自業自得ですよ」

 

 声の主は、お茶受けのお煎餅を持って来た早苗。言いながら、早苗もこたつに入る。まだ何もしてないぜ、という魔理沙の呟きは華麗にスルーされた。

 

 「だからと言って、殴ることはないだろう?」

 

 「無為な労力を引き出された分の駄賃だと思って、アピールくらいさせてください。次回のチャンスを逃さないためです」

 

 やたらと力が入っている早苗の言葉に、魔理沙は何の事かと眉を顰める。早苗は、分からなければそれでいい、とばかりに頭を振ると、さらに言葉を続ける。

 

 「早朝から面倒な訪問をされた分、きっちり働いてもらいましたから、まぁいいんですけどね」

 

 「ん?」

 

 魔理沙は訝しげに眉を顰め、顔を上げた。早苗のために働いたことなど、心当たりがない。

 

 「雪かき、ご苦労様でした」

 

 「……あっ! やられた!」

 

 確かに、ノンディレクショナルレーザーで境内の雪を払い、マスタースパークで屋根の雪を溶かしている。働かされたというには語弊があるが、してやられたことには変わりない。魔理沙は思わず天を仰ぐ。

 

 「…タダ働きかよ」

 

 「エネルギーの有効活用ですよ」

 

 再び、氷嚢の上に顔を伏せる魔理沙。早苗がどこから狙ってやったのか分からないが、弾幕ごっこにも負けるし、負傷するし、いいように利用されるし散々だった。

 

 「今日は完敗ね。魔理沙、家もお願いしていいかしら?」

 

 「御免蒙る、だぜ」

 

 色々と精神的なショックから、魔理沙は卓袱台から頭を上げるとそのまま後ろに倒れ込んで、大の字に寝転がる。

 

 「せっかく本殿の発掘作業をしようとしたのに、散々だぜ」

 

 あ〜あ、と反省ゼロの発言をした瞬間、

 

 「人の寝床を遺跡みたく言うなっ」

 

 仰向けの魔理沙の薄い胸の上に、声とともに何かの塊が落下してきた。

 

 「ぐぇ」

 

 潰された蛙のようにくぐもった声を上げる魔理沙。その上にちょこんと坐っているのも、やはり蛙。

 

 「諏訪子様…容赦なしですね」

 

 「家を吹き飛ばそうとしたことも含めて、当然の報いよ」

 

 どこから降ってきたのか不明だが、完全にだめ押しの一撃だった。流石の魔理沙も涙目。

 

 「…今日は厄日だぜ」

 

 珍しく弱々しい魔理沙の声に、早苗も思わず吹き出した。

 

 「因果応報、ね」

 

 涼しい顔でお茶をすする霊夢は、冷静に呟く。

 

 

 

 

 

 「ところで」

 

 霊夢は早苗の方に向き直る。

 

 「さっき、何か言いかけてなかった? そういうのって、結構気になるのよね」

 

 「あ〜、そういえば」

 

 霊夢以外の誰もが忘れていたことだが、珍客の襲来でおしゃべりが中断されていた。

 

 「大したことではないんですけどね」

 

 早苗は、改めて聞かれると恥ずかしい、と頬を掻きながら話す。

 

 「外のことを聞かれたことはありますが、私の事を聞かれたことってないな、って思ったんですよ」

 

 その言葉に、霊夢は目を丸くする。

 

 「なに、聞いてほしかったの?」

 

 「やっぱり、そういう返しになりますよね〜」

 

 早苗は、苦笑いとともに卓袱台に顎を乗せる。

 

 「そういうわけかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。よく分かんないです」

 

 そのまま頭を倒して卓袱台に頬をつく。普段あまり見せないような、だらしない格好だった。

 

 早苗には、自身の問いに対する返しの問いを予測は出来た。出来たが、それに対する答えは見いだす事ができていなかった。決して自分から語りたくはないが、聞かれることに対して、ある種の覚悟はあった。それを外されて肩透かしを食らったように感じたのは事実だった。

 

 てっきりむきになって否定すると思っていた霊夢は、さらに目を丸くして、あら? と呟きを漏らす。どうも、本気で悩んでいるようだ。

 

 その姿勢のまま、目だけを動かして霊夢を見る。

 

 「でも、気になりません? 突然、神社ごと引っ越してくる非常識な人のことですよ?」

 

 「一応自覚はあったのね」

 

 「人並みには。というか、あの方法に関しては、私が真っ先に反対したんです。非常識が過ぎるから、と」

 

 視線をずらして、『非常識な神様』を見やる。既に日常の姿に戻った早苗の視線には、神奈子も涼しい顔だった。当の早苗にしても、過ぎたことをこれ以上あれこれ言う気はない。不毛なだけだ。

 

 「そうね。確かに、面倒ごとを持ち込みかねない存在かもしれないものね」

 

 と、のんびりとお茶をすする。

 

 「でもね、わざわざこちらに渡って来るなんて、よほど外で大変なことになっていたのよね。そんな人たちが、わざわざ引っ越し先で面倒起こすかしら?」

 

 霊夢の言葉は、問いというより反語。問いに対する答えが何か、確信に満ちた言葉だった。

 

 「よほどの事情がある人に、過去を根掘り葉掘り聞くのも趣味のいい話じゃないし」

 

 「胡散くさい奴なら山ほどいるからな。いちいち気にしてられないぜ」

 

 いつの間にか、立ち直った魔理沙も、同意の言葉――とは言えないが、気にしないという共通認識――をどこか息苦しそうに語る。

 

 何故かと魔理沙のほうを見ると、まだ諏訪子に退いてもらえていなかった。

 

 それはともかく、そんなものかな、と思いつつも、釈然としない早苗に、霊夢は片手を振る。

 

 「実際問題として、外の事情は、私たちが聞いてもよく分からないのよ。これまで、何人かこちらに迷い込んできた人の話を聞いてみたことはあるんだけど、なんのことだかサッパリだったわ」

 

 「そんなもんですか?」

 

 幻想郷と外との落差は、確かに大きいけれど…と、早苗にその感覚が浸透するより早く、霊夢はふと気づいたように問う。

 

 「そういえば、こちらに来てから、どれだけの場所に行ったのかしら?」

 

 「とりあえず、人里と妖怪の山を少々。日常生活を恙無いものにするので手一杯でしたし」

 

 まず、電気がないという時点で一大事だった頃を思い出す。生活のほとんどを電気に頼って生きてきた人間にとって、それがなくなってしまえば、パニックになる以外の道はないと言っていい。未だに試行錯誤な部分は多く残っている。

 

 「そう。余裕が出来たなら、見て回ってみるといいわ。幻想郷は色々と面白い場所が多いわよ」

 

 「…ここは観光地か何かですか?」

 

 「どんな場所だって、慣れない人間からすれば、そこは観光地と大差ないでしょう?」

 

 霊夢の言葉は尤もだった。

 

 「こっちでは、それなりの力がないと生命に関わる場所も多いけどね」

 

 若干顔を引きつらせる早苗に、早苗なら大丈夫でしょ、と霊夢。

 

 「里には、そういうことを纏めている人間もいるし。なんなら、私が案内してもいいし」

 

 「でも、上空から見ても里と、湖くらいしか見当たらなかったような気がしましたけど?」

 

 「ああ、そうね。時期にならないと、花畑も気づきにくいだろうし。ただ、ここはいろんな境界が曖昧だから、いろいろと奇妙なところと繋がってるのよ。あの世とか」

 

 「は?」

 

 「結構、桜が、見事、に咲くんだ、ぜ」

 

 「…あの世のお花畑みたいに綺麗な場所、とかですか?」

 

 早苗は、何かの比喩かと探っている様子だが、それは言葉の通りの場所なのだ。

 

 「大丈夫、生身で行く分には大抵帰ってこれるわ。白玉楼の主に気に入られなければね」

 

 早苗の疑問符はそこについているわけではないのだが、気づかないのかそれには取り合わず、それはともかく、と霊夢はしばし思案に耽る。ふと、魔理沙に向き直った。

 

 「やっぱりまずは紅魔館かしらね…っていうか、いい加減どいてもらったら?」

 

 「…上の蛙に言ってほしい、ぜ」

 

 「ほら、諏訪子。いい加減にしなさい」

 

 神奈子が諏訪子の襟首を掴んで、下ろそうとする。

 

 「え〜」

 

 「そんなにいいクッションでもないでしょう」

 

 なんとなく不満げな諏訪子をたしなめる神奈子。が、しかし。

 

 「うがー!」

 

 魔理沙が怒りの勢いで起き上がる。上に乗っていた諏訪子は吹き飛ばされる形になったが、空中で一回転すると、卓袱台の上に立つ。それは、とてもお行儀の悪いことだ!

 

 「おまえら、鬼か! そんなこと言うなら、諏訪子はどうなんだよ!」

 

 強烈な怒気とともに、諏訪子をビシスッと指し魔理沙が猛る。対する諏訪子は涼しい顔で魔理沙と対峙する。それは王者の風格だった。

 

 「ふふん。私を引き合いに出そうなんて、百年早いわ」

 

 「な」

 

 諏訪子の自信に満ちた態度に、流石の魔理沙もたじろぐ。

 

 「私は、『ない』ことを武器にして自慢とする!」

 

 「なんだってー!」

 

 劇画のような表情とともに、硬直する魔理沙にない胸を張り勝ち誇る諏訪子。

 

 「魔理沙には出来る?」

 

 「何故だかは分からないが、敗けた気がするぜ…」

 

 敗北感に、魔理沙が膝を屈した。

 

 その様子を見ていた早苗は思わず目が点になる。霊夢も軽く頭痛を堪えるような表情で首を振る。

 

 「なんて不毛な会話…」

 

 それ以上に、会話がなかなか前に進まない日だ。早苗は頭を振って点になった目を元に戻すと、気を取り直して話を先に進める。

 

 「ところで、こうまかん、ってなんです?」

 

 「変な吸血気と魔女と人間が住んでいる屋敷の名前よ。湖のほとりにある」

 

 「…ありましたっけ?」

 

 早苗が記憶を辿るが、そんなものを見た記憶はなかった。

 

 「あ〜。最近、趣味か何かで結界張ってたりするのよね。多分パチュリーあたりが実験してるんじゃないかしら?」

 

 と魔理沙を横目で見る。実際は、誰のためにそんなことをしているのか明らかに分かっている、と言いたげな視線だった。

 

 「まだまだ余裕だぜ」

 

 どうやら立ち直ったらしい魔理沙は――冷静に考えれば、落ち込むようなことでは有り得ない――、何の悪気もなくさらっと言ってのける。

 

 「そこに住んでいる変な人間とは知り合いになっておいた方がいいわ。きっと何かとお得だと思うの」

 

 「まぁ、いろいろ似たり寄ったりだからな」

 

 「はぁ」

 

 事態がよく分からない早苗は、思わず生返事を返すが、霊夢も魔理沙もそれがいい、と頷き合う。

 

 「じゃあ早速行きましょうか」

 

 「え、今からですか? 大変! 何着て行ったらいいですかね?」

 

 急な話の展開に、早苗が思わず部屋に戻って身支度をしようとしたところで、霊夢がその襟首をむんずと掴む。

 

 「…いいから、さっさと付いて来なさい」

 

 「冗談ですって。一応これが正装ですし」

 

 「あんたの冗談は、分かりにくいのよ」

 

 「そんな! ひどいです…」

 

 「あー、これは本気っぽいわね。そこで落ち込む感覚がわかんないけど」

 

 霊夢はこめかみを解すように指をあてる。早苗を割と普通だと思っていたが、残念ながらそうでもないらしい。まあ、少しくらいアレのほうが、この幻想郷では過ごしやすいかもしれない。

 

 「さて、じゃあ行きましょうか。紅い悪魔の住む館へ」