第20話

 いつしか見たことのある風景、見知らぬ町、蜂の巣と化している家屋の壁、立ち上る黒煙、この空間を支配している硝煙の匂い、そして血の匂い。その中で、ダリはあの時と同じように銃を手にしている。その銃は前と同じものだ。まだ太陽が空に存在している間にダリは、いや、ダリだけではない、皆がその銃を目にしている。その銃を持っている手、血にまみれている。彼の周りには死体が累々と横たわっている。内臓がむき出しになっている者、五体不満足な者、ヒトとしての原型を留めておらず、それが本当にヒトなのかも疑ってしまうような者。それらを見ていたダリは、喉の奥から何かがこみ上げてきた。それを口の外へと吐き出すのを必死に堪える。変わりに大量の唾液が地面を濡らす。
 ダリはふと崩壊している民家を見た。人影がそこにある。確かに彼はそれを見た。それに向かって歩み寄る。靴底が砂の一粒々々を噛んでいく。その音が妙に不快に聞こえる。人影に近づくにつれてそれの輪郭がはっきりしてくる。一人の女性だった。ボサボサになった肩のあたりまで伸びている黒髪をしていて、ボロボロになった衣服を身に纏っている。ダリがその女性に向けて手を伸ばした。するとその女性がダリの方へと振り返った。女性の顔を見たダリ、喉がつぶれそうになるほど絶叫した。その女性には眼球が存在していなかった。代わりに通常ではあるはずのない黒い穴が二つ、まるで眼球が抉り取られたようであった。穴からは若干の黒味を帯びた赤い涙が流れている。ダリは腰を抜かしてその場に尻餅をついた。立ち上がることができない。その女性は目に見えていなくとも、音でダリのいる位置を把握しているかのように、ダリに近寄ってくる。ダリの目の前まで来ると女性は膝をついた。そして血にまみれた手でダリの首を絞める。悲鳴をあげようとするが、ヒュッというか細い音がでるだけである。そして口を大きくあけて、精一杯叫ぼうとした。
「ダリ! ダリ!」
 自分を呼ぶ声がする。勢いよく目を開けて起き上がる。そこは自分が寝ていたベッドの上である。辺りを見回すと、子供達が心配そうな目でダリを見ている。
「ダリ、だいじょうぶ?」
 他の子供達と同じような目つきのカミラがそこにいる。
「うん、もう大丈夫……」
「ダリ、やっぱりここからにげたほうがいいよ。こわいゆめを見たんでしょ?」
「でもそんな事をしたら……」
 この後に続く言葉は言うまでもなかった。
「ボクもここからにげだしたい」
 ダリの声でもカミラの声でもなかった。声の主は、ハリネズミが針を立てたような頭をした黒人の少年であった。
「ボクはレセっていうんだ」
 ダリとカミラはその後に続いて自己紹介をした。するとレセがダリのベッドに腰を降ろして話し始めた。
「ここからにげないと、ぜったいに死んじゃうよ! それでもいいの?」
 ダリはレセの方を向いて真剣な眼差しで言葉を発した。
「ボクだってにげたいし、死にたくないよ! でも、もしばれたら……。ねえ、おねがいだから二人ともにげようなんて思わないでよ! もうだれにも死んでほしくないんだよ!」
 泣き声に近かった。人が死ぬところをもう見たくない。心からダリは叫んだ。
「だいじょうぶだよ。ぜったいに見つからないようにやるから。ダリも来るでしょ?」
 カミラが言った。ダリは首を横に振る。
「お母さんにあえるかもしれないんだよ」
 再びカミラがダリに言う。その言葉でダリの心が揺らいだ。母親に対して最後に放った言葉は罵声だ。大嫌い、親にとって我が子によってこの言葉を浴びせられるのは、身を切られるより辛いであろう。再開してちゃんと謝りたい、ダリのこの気持ちに偽りは微塵もない。しかし、脱走が発覚し殺されてしまうと、それは永遠に叶わなくなる。それに故郷にいる友人、知人、そして隣町のガチラにいる店の店主、ダリが会いたいと願う人々はたくさんいるのだ。その気持ちは、この施設にいる子供達全員が抱いているものに違いない。再開したい、だからこそダリは言った。
「ボクはにげないよ」