第14話

 指示はまだ子供達のところには届いていなかった。それまでの時間は自由時間だと総司令官は言っていた。しかし、子供達にそのような余裕などあるはずもなかった。指示が子供達の届く、それは地獄への招待券が届くということなのだ。いや、それは恐らく正しい表現ではないのだろう。彼らは既に地獄の中に足と踏み入れてしまっているのだ。強制的にその地獄へ連れてこられてしまっているのだ。そして今の状況はまだ序の口に過ぎない。さらなる深みがそこには存在するのであるから。
 小便をし終えたダリは、先ほどの同じように壁を背もたれにして上の空の状態になっている。何かをすることがない、する気力もない、どうすればいいのかもわからない。廊下と同じような汚れた部屋、薄暗く汚い明かりに照らされる部屋。生きた心地のしない世界。
「その青いひも、きれいだね」
 不意に声をかけられたダリは我に返り、声のした方を見た。坊主頭の肌の黒い少年がそこにはいた。このような状況にもかかわらず、いや、このような状況だからこそ必死に笑顔を作っているようにも思える表情をしている。
「これはお守りだよ」
「お守り?」
「母さんがつくってくれたんだ。これをつけていればいつもいっしょだって」
「いいなあ。やさしいお母さんがいてくれて」
「ねえ、なまえはなんていうの?」
「カミラだよ。カミラ=ゲイレド」
「ぼくはダリ=ラファルエル」
「ぼくにもお母さんはいたよ。でもね、ダリ君の―」
「ダリでいいよ」
「ダリのお母さんみたいにやさしくなかったんだ……」
 カミラの声は深い悲しみに包まれていた。それは他人が容易に癒せるものではなかった。それを証明するかのように、カミラは上着を捲り上げて肌を出した。腹部に何かの焦げた跡のようなものや、殴られて出来るような傷跡が無数に存在していた。
「お母さんはね、ぼくの体でタバコの火をけしていたんだ。それにぼくがあついっていうと、ぼくの体をおもいきりなぐってた。お父さんもぼくのことがきらいだったらしくて、いつもぼくのことを……」
 酷い虐待によってカミラは肉体的にも精神的にも深く傷ついていた。彼の目にも大粒の涙が浮かんでいる。彼のそれはダイアモンドのようにとても美しく見えた。虐待を受けながらもまともな人格を保てているからなのか、それはダリにはわからなかった。少なくとも、カミラは愛を知らない。家族から愛されていなかった。ただその時、ダリはカミラのある言葉で自分のしでかしたことに気がついた。「大ッキライだ!」、ダリが母親に対して最後に口にした言葉だ。ダリは一刻も早くこの地獄から抜け出してサハルの町に生きて帰って母親に謝りたい、それがダリの考えである。ダリは右の手首にあるお守りを眺めた。今ごろ母親は何をしているのだろうか。自分の事を心配してくれているのだろうか。そのような考えが浮かんでくる。

 外では何やら兵士達が出動の準備をしている。それぞれがAK−47と、その銃に用いる予備の銃弾と、手榴弾五つを装備した。深緑色の軍用トラックが二台用意される。そのトラックには兵士が十人乗ることができる。そのトラックに兵士達が次々と搭乗していく。
運転手がキーを回すとエンジンが音をたてて動き始めた。後部の排気口から黒く汚れた煙が吐き出されていく。黒いゴムで出来ている車輪が動き始める。それが砂地を噛み砕くような音をたて、車の動きに合わせて回転していく。トラックが孤島と外界を隔てている唯一の門を通過していく。ある兵士は自分の銃の整備をしている。ある兵士はこれから起こりうる「事」に顔をにやつかせている。そしてある兵士は、ある場所がマークされた地図を眺めている。