07 襲撃の後先














 エリニュスがブロシア基地を襲撃した翌日。
 一夜を明けるまでに火災はすっかり鎮火し、基地内もいくらか落ち着きを取り戻していた。
 それでもまだ、基地内の至る所に戦闘の傷跡が残っている。
 例えば黒こげになった食堂の机一式が片付けられている最中だったり、人が立ち入らないように囲いがされた粉砕されたままの外壁の一角であったりとか。
 修繕は優先順位の高い箇所から行われていく。
 格納庫や弾薬庫。それから通信設備とか、場所でないなら残ったフォースメイルの修理など。
 そういう部分でさえ、完全に元通りになったとはまだまだ言えない。
 だから後回しにされても危険の少ない部分は、今でも戦禍の傷跡を残したままだ。
 そして僕たち四人は手負いの基地の中を歩いていた。
 四人というのは僕に理夢。それからエステルさんとエリスさん。先頭を歩くのはエリスさんだ。
 僕と理夢にエステルさんはフォースメイル搭乗時の服装、白のシャツに黒のズボン。さすがに防護用のベストは身につけていなかった。
 ただ一人、エリスさんだけが礼服っぽい服を着ていた。
 肩当ての入った青の長衣で、裾は腰の裏で左右に分かれ膝の裏よりも長い位置まで来ている。
 茶のパンツを履き、膝の直前まで伸びる黒の長靴。首には朱のリボンが結ばれ垂らされている。
 つまり今の格好は僕らの正装だった。
 正装の僕らの間には一言も会話がない。最初の挨拶以来、まともに口を開く機会がない。
 理夢は……昨日の戦闘以来すっかり落ち込んでしまって、何かを話したがろうとさえしない。
 普段なら何か話を切り出しそうなエステルさんもエリスさんも揃って口を閉ざしていた。
 正確にはエリスさんからエステルさんへ向けて、何か無言の圧力のようなものを感じる。
 第三者の僕がそう感じるぐらいだから、エステルさんの圧迫は相当なものだと思う。
 だから今の状況は重苦しいとしか言えなくて、これからの予定を考えると気は余計に滅入ってくるばかりだった。
 合同葬なんて楽しみなはずがないだろ……。

「……あの」

 理夢が小さく口を開いた。
 横目に見た理夢は、少し青白くて疲れているように見えた。

「私たちは、どうしてればいいんですか?」
「送ってくれるだけでいいよ。途中で礼とかしないといけない時もあるけど……うん、送ってくれるだけで十分」

 エリスさんは答えたけど、名詞を欠いていた。欠けているのは、戦死した人を、という部分。

「そう、ですか」

 理夢は少し詰まったような言い方。
 なんだろ、違和感がある。もしかしたら理夢が聞きたかったのは、少し違うことなのかもしれない。
 今すぐのことでなく。もう少し後。もう少しでなければ、更に後。僕たちは、これからもこのままでいいのか……とか。
 結局、ほとんど会話が続くこともなく屋外に出る。
 敷地内から少しだけ外れた平原に移動すると、すでに多くの人が集まっていた。
 基地にいる全ての人間ではない。むしろ半分にも満たない。それでも百や二百では効かない数の人間が集っている。
 ほとんど雲一つない青空が一様に広がっていた。空はこんな時でも晴れている。それとも、こんな時だからこそか。
 集まった人間はエリスさんのような礼服か、僕らのような作業着のどちらかだ。はっきりとした比率は分からないけど、たぶん半々ぐらい。
 至る所でささやき声で何かを話している。
 詳しい内容は分からないけど、誰かはいい奴だったとか、貸しを残したままだったのに、とか過去形の話ばかり。
 たぶん話題の中心になってる人たちには、もうどうにもできない過去の話。
 ほんと、気が滅入りそうだ。
 ……直接の面識もない僕が、知らない人の死でこんなに滅入ってどうする。とは思うけど、それでも考えずにはいられなかった。
 死はいつか必ず訪れる。けれど僕は、その迎え方までは知らない。

「司令が来たから隣に並んでて」

 いつの間にか横に来ていたエリスさんに言われて、すぐにその通りにする。
 周りも直立不動の姿勢を取って、ささやき声もすぐに収まっていった。
 こういう場面で姿勢が変だと逆に目立つので、そうならないようちゃんと起立しておく。
 正面を向いてると、濃紺の襟詰めの軍服を着込んだ初老の男の人が歩いてくる。白髪交じりの黒髪をオールバックにして、横顔は少し疲れているようにも見えた。
 一団の正面に回り込んだ司令が、こちらに向けて敬礼。
 こっちの敬礼は握った右手を左肩の前に掲げるという仕草で、答礼も同じく。
 敬礼を終えると、司令は前に向き直る。
 何故だか体育祭を連想させるような流れだった。ここまでは。

「先の戦闘で喪われた全ての者たちに向けて、礼」

 一礼。そして司令の低い声が滔々(とうとう)と続く。

「昨日の戦闘で戦死した――」

 名前と配属先が読み上げられていく。その誰もが知らない名前の人たちだ。
 接点こそ少ないけど、アルメリアさんたち以外にもこの世界の人たちと接点はもうできている。
 例えば僕たちのルグリアを担当していた整備の人や、食堂のコックさん。他にも守衛のおじさんとか。
 次々に告げられていく名前の中に、その人たちの名前はなかった。
 少し安心したけど、それでも誰かが死んでしまった事実に変わりない。
 読み上げられる名前はまだ続く。そして、この中に僕や理夢も加わっていたかもしれない……怖いというよりは嫌だと思えた。
 司令の声は途切れない。
 当直夜勤の見張り員、二十三歳。二十九歳のルグリアのパイロット。四十を越えた救護班の医者。
 読まれていく名前の途中で気がついた。司令は完全に空で言い切っている。
 普段から覚えていたのかは分からない。でも、今この瞬間の司令は間違いなく逝った人たちのことを知っている。

「――以上、二十三名が昨日の戦闘で喪われた尊い者たちだ。彼らに哀悼と手向けの意を込めて、黙祷」

 哀悼と手向け、二つの間にある違いは分からない。けれども、ここは間違いなく悼むべき時であるのは分かる。
 目を閉じる。戦っている以上は誰かが死んでしまう。そんな考えるまでもない現実が、すぐそこまで迫ってきている。
 次の順番はひょっとしたら僕や、身近な人になるのかもしれない。

「黙祷、止め」

 どうしたら、いいのだろう。答えなんてあるかも分からない。
 頭の中が堂々巡りに陥りそうになり始めた時、花の香りが漂ってきた。
 匂いはすぐにちょっときついぐらいに強くなる。
 なんだろうと思っていると、白いラッパ状の形をした花……ユリに似た花が手押し車一杯に乗せられて運ばれてきた。
 その後ろには別の手押し車。こっちに乗っているのは一抱えほどある大きさで、乳白色に黒い斑点のある釣り鐘型の石……確か御影石だったっけ。
 後は石を下ろして、その回りに白い花を敷き詰めていく。最後にもう一度、みんなで黙祷。
 司令を先頭にして最前列にいた数人が付き添って基地へ戻り始める。
 一団が行ってから他の人たちも帰り始めた。今度は特に順番とか決まってないようで、帰る順番はばらばらだ。
 僕はというと隣のエリスさんが未だに目を瞑ったままだったので、勝手に先に戻るのはどこか気が引けた。
 かといって、一言声をかけるのも遠慮したくなるような雰囲気でもある。
 余計な声をかけたら単なる邪魔でしかないと思えるぐらいに、エリスさんは熱心に黙祷をしていた。
 結局、どっちつかずのままにエリスさんを待つ形になってしまう。
 もう少し経ってから目を開けたエリスさんは軽く息を吐く。そして僕がまだ隣にいるのに気づいて、ちょっと驚いたように目が開かれる。

「もしかして待たせてた?」
「あ、いえ。別に僕はすぐに戻ることないかなって」

 これはあながち嘘じゃない。余韻に浸りたい……というのとは違うけど、すぐに立ち去らないでもいいような気はした。
 もう少しだけ見送ってもいいんじゃないかと、そんな風に思えたから。
 エリスさんは頷くような素振りを見せたけど、本当に納得してるのかは分からなかった。

「やっぱり、そっちだとこういう合同葬も滅多にないかな?」
「まあ……珍しいとは思いますよ。あるところにはあるんでしょうし、葬儀にまったく立ち会ったこともないわけじゃないですし」

 それでも、やっぱり戦死というのは無縁の理由だ。
 戦いがある以上は誰かが死んでいるという現実も、今までは無縁だった。他人事でいることはできたはず。

「あの石は……墓石。そっちはどういうのを用意するのかは知らないけど、あそこに名前を刻むの。花はこういう時には白くて香りの強い花を供えるって風習だから。分かりやすくするため、なのかな」

 エリスさんは説明こそしてくれるけど、こっちの反応は見ていない。敢えて、口には出さなかったけど。

「……送る人がこんなにいるだけでも幸せだよ。それが、お互いによく知らない人たちでもね」

 エリスさんは空を仰いでいた。横顔を見ただけだけど、なんだか遠くを見ているような顔だと思う。
 ここじゃないずっと遠くで、今を見ていない。それは少し危ないような気もしたけど、何を思ってそう感じたのかは自分でも分からなかった。

「こんな時勢だし、尚也君は知らないだろうけど……やっぱりあるんだよ。誰かにちゃんと送ってもらえなかったり、例えばどこかの小さな村なんかだと壊滅してたのにすぐに気づけなかったとか。そういうのに比べたらずっといいよ」
「そう……なんですかね」
「このご時世だから。ううん、いつだって仕方ないことってたくさんあるから」

 それはまるで全部を諦めたと言ってるみたいなのに、どこか歯噛みするようでもどかしい言い方に聞こえた。
 仕方ないというのは建前で本当は何も割り切れていない。

「人間って回りをいっぱい傷つけて酷いことも平気でできるくせに、知らない誰かの為に悲しんであげるのも人間なんだから」

 エリスさんは空を見上げたまま、こっちを見ようとはしなかった。

「人間って、時々はすごく優しいよね」

 呟きは空に向けられて、空へと消えていく。
 空を見上げているエリスさんはやっぱり遠くを見ていて、今を見ていないと思う。裏にあるはずの気持ちは到底窺い知ることはできない。
 不意に風が吹いた。髪を掻き上げる風が、鎮魂の匂いと共に抜けていく。
 時々じゃなくて、人間は本当に優しいんだと思いたかった。













 兄を置いて合同葬から戻ってきた時には昼を軽く過ぎていた。
 昼食を今から取ろうにも食堂は人でごった返しているはずなので、少しぐらい時間を潰さないと。
 普段なら別に混んでても構わないんだけど、今日はそんな気分じゃない。
 今の私にできることは限られている。だから基地の復旧作業に勤しんでいる人たちの中に混じるのは少し気まずかった。
 朝の内に一度は何か手伝おうと格納庫まで行ったけど、手順も段取りもまるで理解してない私が行ったところでかえって作業の邪魔になってしまいそうだった。
 むしろ、そうなりかけてしまったので何もできないままに帰ってきて、それからさっきの合同葬に至る。
 そして今、やっぱり手持ち無沙汰になってしまっていた。
 何かをしたい。でも、何もできない。考えていたよりも、ずっともどかしかった。
 部屋に戻ったので普段着に着替える。ランブレイ製の服で、薄手のシャツの上にベージュの上着を重ね着する。
 普段着に着替えている間も、一つのことが頭を離れなかった。
 私は……三崎理夢という人間は、フォースメイルに乗り続けていいのか。
 何もできないまま頭を壊されたルグリアを思い出す。

「……何もできなかった。ただやられただけで……」

 そんな私がフォースメイルに乗り続ける理由があるの?
 満足に戦えないのに、ただ異界人というだけで。
 自分の命を賭けても何もできないなら……そんなの、ただのお笑い種だ。ううん、笑えるような話ですらない。
 どうしよう。誰かに相談したほうがいいのかもしれない。
 自然と思い浮かんだ顔は二人。兄とエステルさんだ。
 兄には……相談できない。流されやすいから、私が不安がると兄まで一緒に引きずられてしまうような気がする。
 そうなったら相談する意味がない。初めからマイナスの考えしか出なくなってしまうかもしれないんだから。
 こうなると話をできるのはエステルさんしかいない。
 行こう。自分だけで出せる答えじゃない。
 向かった先はエステルさんの部屋。ちょうど通路を挟んだ反対側にある。部屋の前までなら行ったことあるけど、入ったことはない。
 五分とかからずに目当ての部屋まで着いたので、まずは深呼吸をする。
 控え目にドアをノックすると、返事はすぐにやってきた。

「はーい、ちょっと待っててください」

 少しだけの時間を置いてドアが半開きに開かれた。
 中から顔を出したエステルさんは少し驚いたような顔を浮かべたけど、すぐに柔和な顔つきになった。

「理夢? どうかしたの……って、何か用があるから来たんですよね」
「ええ。その、少し……」
「曖昧な言い方だけど、長くなりそうな話みたいですね……中に入ってください。立ち話だと疲れるでしょう?」

 エステルさんは返事も聞かずに、ドアを大きく開いて私が通れるように片側に身を寄せる。
 入り口から見える部屋の中は、私たちが使っている部屋と大きな違いはないように感じた。
 ただ一点、イーゼルらしき物が置かれているのを除けば。

「じゃあ失礼しますね」
「どうぞどうぞ。大したおもてなしのできませんが」

 エステルさんは目を伏せ半歩ほど左足を下げて、恭しく一礼してくる。その動作は演技や冗談ではなく、もっと自然と身についたような動きに見えた。
 部屋に通されて、すぐに椅子を勧められる。背もたれがない丸い椅子で、すぐ奥にはイーゼルがある。
 イーゼルにかけられた紙には何か書き込まれているけど、ゆっくりとは見ていられなかった。
 その間にエステルさんはベッドの上に腰かけている。
 一人部屋のこの部屋には椅子が一つしかない。そして暗に私は椅子を勧められたようだ。
 今になって座るのを断れるようなタイミングではなかったので、そのまま座る。エステルさんとは正面に向き合った状態だ。
 すぐに相談も切り出せずに、所在なく視線を動かす。所在なく、というのとは少し違う。
 気持ちは真後ろ、自然と後ろのイーゼルに向いていたから。
 書き込まれているのは、ここから見える部屋の景色。窓があって壁があって、調度品があった。
 立体がちゃんと描かれて、遠近感もしっかり取られている。
 タッチは鉛筆で書かれているのか、墨でやや太め。
 それを裏付けるように、脇には鉛筆に似た筆と線を消すためのパンが置かれている。

「趣味なんですか、絵を描くのは?」
「趣味とはちょっと違いますね。絵を描くのが、どういうことなのかを知りたくて」

 言葉の意味をすぐに掴めなかった。

「私が生まれた国では多くの文化が衰退しているんですよ。絵を描くのもそうですし、歌を歌ったり実用書以外の書物がなかったりと……趣味というか、必要以外が軽視されていく内に廃れてしまったみたいなんです。いつからか分からないぐらいの昔から」
「それって……窮屈だったんじゃないですか?」
「そうですね。小さい頃は特に気にもしてなかったんですけど歳を取ってくると……いえ、今もまだ若いですけど、おかしいと思うようにはなりましたね」

 若いと言い直したエステルさんは、照れ隠しのようにはにかんでいてどこかおかしかった。
 ……そろそろ肌年齢を気にする年頃、なんですか?
 まだ私には実感の湧かない話だけど。
 エステルさんは握った右手を口元に当て、軽く咳払い。

「だから、その反動でしょうね。絵を描くのがどういうことなのか気になったと言いますか」
「なるほど……それで、どう思ったんです?」
「いいものだと思いますよ。打ち込む人が出てくるのも分かりますし、生き甲斐になるのも共感できます。文化が根付いた国はそれだけで豊かと言えるでしょうね」

 豊か、か。あまり意識したことのない言葉だったけど、確かにその通りだったと思う。
 当たり前のように馴染みすぎていて、有り難みを意識することはまずなかったけど。

「それにしても、エステルさんって絵も上手いんですね」
「自分ではそう思いませんけど」
「そんなことこないですよ。ちゃんと物を立体で捉えてますし、全体が上手く見えてるんじゃないですか」

 ほんと、何気なく……上手い。そういえば最近は何も書いてなかったな。
 家に戻ったら書きかけの――。

「あーっ!」
「どうしました!」
「あ、いえ! ちょっとこっちの話です!」

 しまった……部屋に書きかけの原稿を出したままだ。冬のイベントに持ち込むつもりで書いてた原稿。世間一般的にアレな代物を。
 いくら何でもあれを父さんや母さんに見られのはまずい。
 ああ、でも……もう遅すぎるかも。手遅れで処置なし。
 ううん、書いてる最中にこの世界に来ちゃったんだから、これは事故だ。事故に決まってる。事故でもきっと親に見られるし、印象は変えようがない。
 冷たい目とか生ぬるい表情とか、そんなのが待ってるのかもしれない。

「うーあー……もう、お嫁に行けないです……」
「まあ……難儀な話のようですね」
「うう……この件に関しては善処していくしかないようです」
「そうですか。ところで……相談したかったのは、この話ではありませんよね?」
「あ……そうでした。ごめんなさい、話をいきなり逸らしてしまって」

 エステルさんは微笑で首を横に振る。
 いくらか気はほぐれていた。だから、ちゃんと話さないと。そのためにここに来たんだから。
 戸惑った時間は短い。息を吐き出すように決意も一気に言葉にする。

「私は……フォースメイルに乗って戦っていいんですか? 本当はもっと適任な人とかいるんじゃないですか?」
「どうして、そう感じたんです?」
「基地が襲撃された時……私は何もできないままやられたんですよ? だったら、私なんかより他の人が乗ったほうがいいんじゃないですか?」
「つまり……理夢は自分には何もできなかったから、フォースメイルに乗っても意味がない。そう言いたいんですか?」
「……はい。私が乗っても何も変わらないです……」

 後ろ向きなのが自分でも分かる。
 そして、私の言い分には少しだけの嘘が入っていた。今の今まで考えつきもしなかった嘘が。
 誰かのためになれないなら、乗る意味もなくなってしまう。もっともらしい言い分。
 小さな嘘は口に出てしまうと、私にとっては逆に真実めいて聞こえた。

「一つ……聞き返しになりますけど」

 問いかけに伴う動作は小首を傾げるような仕草。
 少し細められた目元のせいか、どこか憂うような物悲しいような顔に見えた。

「私や他の誰かが、それでも理夢にフォースメイルへ乗って欲しい、と言ったら。理夢ならできると言ったら……理夢はどうするんですか?」
「それは――」
「理夢は本当に乗れるんですか? 本当に戦えるんですか?」

 真実みを帯びていた嘘は、即座に突かれた。空気の抜けた風船のように、薄っぺらい実体が露わになる。
 結局のところ、本当は一つの答えに行き着いてしまう。
 エステルさんは私の本心に気づいていたのか。言葉が自然と口から滑り出していた。

「本当は……怖いんです。戦って傷つけられるかもしれないのが。殺されてしまうのかもしれないって考えると怖いんです」

 言葉は淡々としていた、と思う。でも頭の芯が熱っぽくって、浮つきそうで。
 何故だか自分の手が震え出しそうになっているのを、まだ思考の冷めている部分が気づく。
 どうして震えているのか。怖いからかも……でも、なんだろ。それだけじゃなくて……怒ってる?
 怒っているというなら、私は、何に対して?
 落とした視線が震えそうになる指を見つめている。どこかで冷めた視線は、まるで観察。

「怖いと思うのは……自然なことですよ。だから隠さないでいいですし、怖くない振りをする必要もありません」
「戦いを怖がっててもいい……んですか?」
「いけないことでも、おかしなことでもないでしょう? でも……そう、理夢が言いたいのは怖いから戦いたくない、ですよね」
「そう……です」
「戦いが怖いのはみんな同じですよ。でも誰かがそれをしないと……」

 その一言に反応して素早く顔を上げていた。
 熱に突き動かされる。理性を追い抜いて、言葉が先に口から出ていた。

「戦いが怖くて嫌じゃ……フォースメイルを降りる理由にならないんですか?」
「そうは言いません。ですが……どんな理由で乗ろうと降りようと、それを決めるのは理夢自身です」
「……なんですか、それって。最初に私が自分で決めたから、最後までやり通せってことですか?」

 まるで噛みつくような言い方だった。自分でどうしてこんな言い方をしてしまったのか分からない。
 さしものエステルさんも驚いたような顔をしている。
 ほら、だからやめよう。なんだか変だ。こんなの、私らしくない。

「そうは言いませんけど……その場凌ぎじゃないですか? なんだか、そう聞こえてしまいます……」
「……っ!」

 それは、とても癪に障る言葉だった。気持ちを逆撫でするには十分すぎる。
 余計なことは思いつかなくなった。

「だったらエステルさんは私が死ぬまで乗り続けろって言うんですか!」
「理夢……私はそんなつもりで……」
「確かに私は自分で乗るって言ったよ! フォースメイルに乗って戦うって!」

 自分でも訳が分からない何かに動かされて立ち上がっていた。
 下がった眉に目を見開いたエステルさんの顔を見ても、衝動は消えない。

「だって……こんなに怖いことなんて知らなかったんだよ! エステルさんだって教えてくれなかったじゃない!」

 言葉が止まらない。すらすらすらすらと、言葉が出てくる。
 滑らかな言葉を、私は叩きつけていた。その意味も向けられた気持ちも、よく考えられないまま。

「ここは私の知らない場所で、父さんも母さんもいない世界で……私はエステルさんとは違うんです! 決めたからって割り切って、自分の命を投げ出すような真似なんて! ここには私のためになんか――」

 唐突に私は言葉の継ぎ目をなくした。頭を浮かすような熱と一緒に。
 切れ目に一息ついたことで、肌にうっすらと汗が滲んでいるのに気づいた。
 そして頭から消えた熱は、代わりに油断したら震えそうな寒さを運んでくる。
 どうしても自分が何を言ったのか、正確に思い返すことができなかった。
 それでも確実に言えるのは……酷いことを言ってしまった、ということ。

「ごめんなさい、私……」
「……構いませんよ」

 エステルさんは小さく笑う。どこかぎこちない笑い方に見えた。

「実は私も少し後悔してます」

 エステルさんの頭を軽く横に振って続ける。

「理夢や尚也君を戦わせたことにです。あなたたちが戦う原因を間接的に作ったのは私でしょうから」

 そういうエステルさんは目で確認しているようだった。
 だから頷く。エステルさんの取った行動――この世界の話をしたり、ディックさんの家に連れて行ったのは確実に後押しになっている。
 特にアンリという少女がレイドゥンで、彼女が狩られる対象というのは私にとって衝撃的だった。
 後押しになったのは間違いない。けれど、決定的だったのかはどうか。
 ……本当は知らないでも戦っていたかもしれない。仮定の話だけど。
 もしそうなら今と何か違ったのかな……?
 今みたいにエステルさんに怒鳴るような真似はしなかったかもしれない。
 でも、やっぱり今みたいな気持ちになっていたと思う。避けて通れなかったのかも……。

「もしかして……責任を感じてるんですか?」
「後悔するぐらいだから責任の一つでも感じてるのかもしれませんね……今更という感じですけど」

 ここで言葉が途切れた。
 私もエステルさんも黙ってしまい、沈黙が重たくなっていた空気に気づかせてくれる。
 何か話したほうが気が紛れる。余計なことも意識しないで済むと思い、何か言おうと思った。
 でも、何か言おうにも何も出てこない。もどかしさと焦りを感じている内に、エステルさんが声を発していた。

「理夢。今の話ですけど、もうフォースメイルに乗れないと思うなら……乗らないでいいです。これは尚也君もです。二人が無理だと感じるのなら……私はそれを支持します」
「それは……」
「……前から少し感じていたことです。あなたたち兄弟にはやっぱりこんな争いは似合いませんから」

 浮かんでいたのは苦い笑いで、なんだか居たたまれない。
 それに……戦いが似合うなんて、どんな人なのだろう。
 アニメに出てくるような好戦的な人間なんて、この世界に来てから一度も見たことないのに。

「私たちが降りたら……どうなるんですか?」
「二人は元の世界に帰る算段が見つかるまでは、保護という形になると思います。どちらにしても戦いは続くでしょうし、状況はすぐに変わらないかも知れませんが……」
「エステルさんはどうするんですか?」
「私なら今まで通りフォースメイルで戦い続けます」
「大丈夫……なんですか?」
「心配しないでも私なら戦えますよ。私は……」

 そこまで言って、エステルさんは口を噤んだ。
 後に続くはずの言葉は気になったけど、触れてしまうのは同時に怖かった。そうさせたのは自分だと思えたから。

「まだ……まだ降りるって決めたわけじゃないですよ?」

 不意に出てきた言葉は自分でも意外に思えた。
 でも、考えてみれば降りるのを前提とした話をしていただけで、本当に降りられるかはまだ決めていなかった。決めるための相談だったのに。

「そうでしたね。どっちにするしても……悔いはないように」
「はい……もしも、まだ私が乗るようなら……」
「私にできることなら、できる限りしますよ。どちらにしても、ね」

 エステルさんは目を伏せて優しげに微笑む。
 ここで見せられた笑顔は普段のエステルさんらしいと思えた。

「じゃあ……私、そろそろ行きます。エステルさん、お昼はどうするんです?」
「私は遠慮しておきます……最近、少し食欲がなくって」
「無理しないでくださいね。私が言うのもなんですけど……」
「いえいえ、お気遣いありがとうございます」

 そう言ってエステルさんが立ち上がり、ドアに向かう。私もそれについていく。
 少し名残惜しい。結局、ほとんど自分ばかり話していた。

「理夢」

 ドアを開けながらエステルさんが声をかけてくる。

「私は昔から状況を選べなかった。そんな自分を後悔する気はないですし、あなたを羨むつもりもない。でも、あなたは自分の意志で選択できるなら……あなたの選択を決めなさい」

 言われた内容はさっきと変わらないかもしれない。でも、さっきよりもずっと素直に受け止められた。

「……ありがとうございます」
「……礼を言われるようなことはしてませんよ」

 そして、私は送り出された。気分はいくらか楽になっていたような気がする。
 部屋に戻る間、この世界で起きたことを頭の中で反芻してみた。
 そして鮮明に思い出したことがある。いつだかエステルさんが言ったこと。
 一度逃げたら、全てを省みないでただひたすらに逃避する――だっけ。
 聞いた時は正直、兄に向けられた言葉であって、私には関係ないと思っていた。
 でも、今この瞬間は間違いなく私にも意味のある言葉になっている。
 逃げるのは、その場凌ぎでは済まない。今まで積み上げてきたことも、目の前の人たちへの気持ちさえも、負い目みたいなものでさえ。
 その全てを投げ出して、無視をしなきゃいけない。
 これから起きることも見て見ぬ振りをして、今まで知り合った人たちの安否も閉め出して。
 そんなのは到底できそうにない。あまりに薄情すぎるし冷たい。私は……そうはなりたくない。

「まだ……私はやれるよね?」

 大丈夫だと思いたい。大丈夫だとしよう。
 降りるも降りないも、どっちにしても絶対に辛いことは起こる。
 だったら……せめて自分が納得できるほうを選びたい。どちらがそうなりそうかは、今なら分かるような気がした。













 合同葬から更に一夜明けた日、歴の上では七月七日。
 この日の朝になって王都から急遽編成された補給隊の第一陣が到着していた。
 物資や人の本格的な投入までは更に数日かかるみたいだけど、大打撃を受けた基地にとって大きな救いの手であるのに変わりない。
 俄に活気を取り戻し始めた基地の中では、昨日とは質の違う声があちらこちらから聞かれるようになってきた。
 その動きは僕らの間でも例外じゃない。
 呼び出しを受けて、僕と理夢、エステルさんは格納庫に集まっていた。
 僕らを呼び出した張本人は今、フェインナルド二号機のコクピットから這いだしてきたところだ。
 中年の男の人で痩身。オールバックにまとめた白髪にたっぷりと蓄えられた口髭。着ているのは使い古された整備員用の制服だ。

「随分と派手にやってくれたの」

 先の戦闘で大破した二号機を検分し終えたこの人は、呆れとも感心とも取れる言葉を発した。
 この人の名はマエルバ・イナセ。役職はランブレイのフォースメイル技術部統括、そんな感じらしい。
 偉い技術者であるらしい、どうにも。挨拶もそこそこにフォースメイルに飛びついてしまったので、威厳みたいなのはほとんど感じられないけど。

「申し訳ありません……せっかくの機体を早々に壊してしまって」
「けなしてるわけじゃない。相手はエスフィリスの新型で基地全体の被害を考慮すれば、むしろよくやってくれたと思うよ」

 僕らのところに歩いてくると、マエルバさんは二号機を見上げる。
 左の腕と脚を喪失し、他にも頭部や胴体、右肩などの多くの場所にも引っ掻いたような傷や装甲が捲れてる部分がある。
 満身創痍、なんて表現が分かるような状態だ。
 傷だらけのフェインナルドを見ていると、妙に物悲しくなってくる。
 この世界に来て最初に見たフェインナルドのイメージが強いせいかもしれない。
 あれはアルメリアさんの機体だったけど、凛々しい鎧騎士といった姿で、今にして思えば敵無しといった風情だったのか。
 ここにあるフェインナルドは違う。傷ついた姿を隠すことのできない機械仕掛けの鎧だ。
 硬音が聞こえてきた。音のするほうへ向き直ると、左手で杖をついた人が近づいてくる。音は杖が床を打つ音だった。
 ディックさんだ。私服らしい茶のシャツと紺のズボンの上から白衣を羽織っている。
 出てきた声はマエルバさんに向けてだった。

「現状で稼働できるのはルグリアが八機だ。前線の動きを考えると心許ないが、修理すれば稼働機は倍まで増やせるだろう」
「一時的な戦力低下は仕方なかろう。しかし乗り手のほうが問題かもしれんな……」

 マエルバさんの呟きを余所にディックさんはこちらのすぐ側まで近づいてくる。
 視線は僕と理夢に向けられている。

「お前たちは……乗ると決めたのなら俺からは何も言わんよ」
「分かってますよ」

 先に答えたのは理夢だ。その指が硬く握られるのが見えた。
 何かあったらしい……何があったのかはきっと聞いても教えてくれないだろうけど。

「……ところで二号機は修理できるのですか?」

 割って入るようにエステルさんが声を被せる。それに答えたのはマエルバさんのほう。
 白……くはない歯を見せて、大きく笑う。本人としては麗しいつもりなのかもしれないが、端から見るとそうでもない。

「王都から追加で三号機のパーツを運ばせるよう手配はしておくから修理はできる。が、大がかりな修復はこれで最後になるだろう」
「最後、ですか?」
「在庫の問題での。元々フェインナルドは専用の部品が多い上に製造数も少ない。加えて機種転換の時期に差しかかってもいるから追加生産もどうかと思っての」

 マエルバさんとエステルさんは揃って二号機を見上げた。

「性能面を考えればまだまだ現役で使える機体なんだが、新鋭機に立ち向かうにはそろそろ力不足、と言えような。機体自体の汎用性が高いとも言えん」
「……できる限り、今度は壊さないように気をつけます。ところで、それなら新型は?」
「もちろん開発は行っておる。まあ、進捗を踏まえればそれほど待たせることはないだはずだな、うん」

 マエルバさんの言葉に頷きつつ、ディックさんが話を続ける。

「機種転換はむしろルグリアのほうが早いはずだ。次期量産機が生産ラインに乗ったのが最近だから、投入までもう少しかかるだろうが」
「それって……つまり僕らも乗り換えるってことですか?」
「遅かれ早かれ、いずれはな。操作方法は変わらないはずだが機体ごとの癖は違うから、転換時はそこに注意すべきだろう」
「へえ……ところで、なんて名前なんです?」
「量産型フェインナルド。機体自体は全くの別物だが」

 名前を言った途端にディックさんは小さく笑った。その理由はちょっとよく分からない。
 先を引き継いだのはマエルバさんのほうだ。

「お上の事情というやつでね。設計思想も性能も似ても似つかないが、知名度のある名を採用して戦意高揚を図ろうという魂胆だ。異界人である諸君には縁のない話かもしれんが、我々にはフェインナルドという響きは大きな意味合いを持っているのだよ」
「そうなんですか……」
「別物とは言っても、性能面は保障するし頭部だけは似せてある。純粋にルグリアの上位互換と思っておけばいいかの」

 機体が変わる、といっても新たに特別な気持ちを感じることはない。
 新しい機体がまったく気にならないっていえば嘘だけど、今はそれさえ対応しないといけない変化の一つとしてしか捉えられなかった。

「まあ、もうしばらくは今ある機体で頑張ってくれ。アインツェイルの修復にも取りかかるし……事によっては、君ら兄妹のどちらかが搭乗する可能性もある」
「アインツェイル……?」
「そこの隅っこにある機体だ。どこかのお医者様がいきなり乗り込んで半壊させたようだが……昔からあの機体に乗る者は無茶ばかりをする」

 マエルバさんの台詞の最後はぼやきのように聞こえた。
 戦闘中は知らなかったけど、レーネさんが無理矢理乗り込んだらしいとは後で聞いた話だ。
 けど、僕らが戦っていること自体が、すでに相当な無茶じゃないだろうか。
 そう感じながら、今もここにいる僕らは一体何なのだろう。
 物思いに気を取られそうになった直後、大きなどよめきが聞こえてきた。入り口のほうからだ。
 目を向けると、敬礼をする整備の人たちに見送られながら、一団がはいってきたところだった。
 先頭がアルメリアさんで……どうも、その後ろにいる誰かがざわめきの原因らしい。
 遠目だけど、視線がアルメリアさんの後ろに向いているよう見えた。
 後ろにいるのは女の人だ。遠目だけど金髪で……シンシア女王に似てるような気がする。その人の更に後ろにはエリスさんも付き従っている。
 異質な雰囲気の一団は、こちらにまっすぐ向かってくる。
 近づいてくるに連れてアルメリアさんの様子が普段と違うのに気づいた。昨日の礼服のままなんだけど、そのせいではなさそうだ。
 外的な部分じゃなくて、もっと態度みたいなのが。
 張り詰めたような堅さ。緊張?

「あちらはファルミア王女だ。なかなか気さくなお方だが、この国の流儀でいえばあまり粗相のないように、というところだな」

 ディックさんが小声で教えてくれた。
 王女? えっと……あれ、シンシア様が女王で、あの人が王女? 
 意味は違うはずなのに普段使い慣れない単語が混同されて、どっちがどっちだか頭の中でこんがらがってしまった。
 でも、そういう肩書きなら、シンシア様と姉妹なんだろうか……さっき面影を感じたのもそうなら納得できる。
 一団の向かい先はどうやらこっちで間違いないらしい。まっすぐ向かってきた。

「ごきげんよう、みなさま」

 やってきたのは上品な物言いに朗らかな表情。
 おかっぱに切り揃えられた金髪に、白い肌にやや赤みがかって見える瞳。
 顔つきは童顔で、シンシア様との歳の差は知らないけど十代ぐらいの顔つきだと思う。
 朱色のケープに丈が膝ぐらいまでのマント、ブラウスと黒のスラックスに赤のブーツ。
 ケープを胸元で結びつけている紐や両肩の刺繍は金色で、ブラウスに入ってる刺繍も凝ってるような。
 身なりの良さというのは、確実に伝わってきた。

「みなさまは堅苦しい挨拶は結構よ? 私の場合は一応の立場に倣わなければなりませんので」

 答える間もなくやってきた挨拶に反する適当とも取れる言葉。気さくと言ったのは、この辺に起因してなのだろうか?
 王女が僕と理夢を見る。

「あなたたちが三崎尚也に三崎理夢、ね? 私はファルミア・ルミレス・ランブレイ。この国の第二王女でシンシア陛下の妹に当たります」
「初めまして……その、お会いできて光栄です」
「あら、嬉しいことを言ってくれるんですね」

 王女はおかしそうに笑った。もちろんお世辞なんだけど、それも了解の上で喜んでいる感じがした。

「いきなりの初陣だったみたいだけど無事に戻ってこられて何よりだわ。それにエステルも大事なくてよかった」
「もったいないお言葉です」
「……あなたたちには本当に感謝しています」

 そこにあったのは笑っているような悲しんでいるような、なんとも言いがたい表情だった。
 ファルミア王女は感情を隠し切れてない。
 それが王女という立場にある人間の資質として相応しいかどうかは分からないけど、誠実さは感じた。

「……私に言えた発言ではないですが、体は大事にしてください」

 王女たち三人は挨拶もそこそこにまた移動していった。結局、何をしに来たのかはよく分からない。

「今日は随分と姫さんも丁寧だったな、マエルバ?」
「そこのお二人さんとは初対面だったから、猫かぶりしてたのだろう」

 姿が見えなくなったところで、二人の技術者はそんな話を交わした。そこに口を挟む。

「結局どういう方なんです、ファルミア様は?」
「おてんばとまでは言わんが活発な方で、あの方も先の戦争では第一線で戦っていた。アルメリアとは違う意味で象徴といえる」

 マエルバさんの言葉に頷くだけで、返事はしなかった。
 ……この国、それともこの世界なのか。女の人でもごく普通に戦っている。
 戦争自体に馴染みもないけど、それを差し引いても特殊だと思えた。
 別にフェミニスト気取るつもりはないし、男尊女卑なんて考え方してるつもりもないんだけど、やっぱりちょっと引っかかってしまう。
 引っかかるということは対等なつもりなだけで思う部分がある、ってことなのかも。
 その辺は突き詰めても明確な答えは出なさそうだし、何より今は関係のないことなので頭から閉め出した。
 とはいえ、この世界が等しく戦うという流れにあるのなら、当然理夢だって例外じゃなくなるわけで。
 の理夢を何気なく見てると、理夢と偶然にも視線が合った。

「どうかしたの?」
「あー、いや」

 なんだか間の抜けた返し方。かえって変に見えそうだと思い、誤魔化すみたいに言い直していた。

「女王と王女、どっちがどういう意味だったかなと思ってさ」
「……女王が女の王様で、王女は王様の娘とかだよ」

 理夢の呆れ顔と一緒に答えが返ってきた。
 ここだけを見るなら、きっとこれも他愛のない日常なんだろう。













 雲量はやや多め、というのがその日の空模様だった。
 多めの雲は忙しなく太陽を隠したり露わにしていて、この時はちょうど陽光を遮り始めたところだ。
 日が隠れても空は白く明るい。今度の雲もそれほどの時間を置かずに太陽から離れていくはずだった。
 昨日に合同葬が執り行われた場所には三人の姿がある。
 アルメリアにエリス、そしてファルミアだ。
 ファルミアは御影石の前にひざまずき、そのすぐ脇にアルメリアが目を伏せて立っていた。
 エリスは二人から更に後方の場所で遠巻きに立っていて、両者の会話はほぼ聞き取れない位置だ。聞き取れたとしても、それは断片にもならない音でしかないだろう。
 厳かにファルミアが立ち上がると、その気配を察してアルメリアも目を開いた。

「戦えば、誰かがどこかで傷つく」

 ファルミアは口にこそ出さないが戦死した人間の遺族に思いを馳せた。
 親兄弟がいれば、ひょっとしたら子どもをもうけてる場合もあるかもしれない。
 実際に命を失ったのは二十三人。しかし心に傷を負ったとなると、その数はもっと多くなる。
 戦争の傷は直接的な数字では語れない……とは、以前の戦争でもファルミアは感じたことだ。

「私たち……前の戦争から何かを学べたのかしら。学んだ結果が今だとしたら……皮肉が過ぎるよ」

 拳を硬く握り眉根を寄せていた。ファルミアの表情は沈痛と呼ぶしかない。
 アルメリアはすぐに答えられなかった。彼女自身がファルミアの言葉への答えを持ち合わせていなかったからだ。
 それでもファルミアより先に言葉を口にする。

「確かに我々の取ってる手段は決して最良ではないでしょう。戦争は行き過ぎれば自滅に繋がりますし、大きな齟齬を生み出すこともあります」
「ねえ、アル。私たちは戦争を……力を力でしか解決できないのかな?」
「……力もなく語れることもまた少ないです」

 ファルミアは頷かなかった。内心では肯定していたが、それを態度として見せようとはしない。
 一度でも戦争状態に入ってしまえば、それを終わらせるためには大きな力が必要となる。対話や交渉をするにしてもだ。

「分かってるよ……だから私たちに負けは許されない。もう二度とこの国を踏みにじらせたりなんかしないから」

 そのためには、まずエスフィリスを押し返さなくてはならない。でなければ何か戦意を挫くような大打撃が必要となる。
 元々、ランブレイにエスフィリス国内に攻め込む意思もなければ余力もない。
 解放戦争の傷跡が癒えきってないというのもあるし、王族も国民も拡張路線を忌避しているというのがある。
 これは解放戦争以前も以後も変わりない。むしろ戦後のほうが心情としては強くなっているのではないかとファルミアは思う。
 一度は国を焼かれ、多くの者が居場所を失った上で自らの手で取り返している。
 その経験は家を奪われる辛さを知ると同時に、他者に同じような目を遭わせるのは恥とする気質の醸成も促した。
 そんな国の王族として生まれたことにファルミアは密かならずに誇りを持っている。

「……異界人の様子はどうなの? 私は上がった報告に目を通しただけだし、今も少し話しただけだから。直に見てきたアルメリアとしての意見を聞いておきたいかな」
「ディックに関してはあまり接点がないのでマエルバから聞いたほうがいいと思います。エステルだと……心配は要らないでしょう。こちらの生活にも対応しているようですし、協力的なのは前から変わりありません。ただ、一昨日の戦闘で二号機を大破させたのを気にしすぎている部分があるようには見えます」
「負い目……かしらね。だとしたら、あまり感じて欲しくないけど」
「気を張っている可能性も。自分の行動が他の二人の待遇にも影響を及ぼすと考えているのかもしれません」
「私たちは区別も差別もするつもりなんてないのに」
「だとしてもです。勢い余っての暴走はないと思いますが、無茶だけはしないように注意しておきます」

 ファルミアは頷く。彼女がエステルと初めて会ったのは、エステルがシンシアに目通りを許された時だった。
 綺麗な挨拶をする人、というのがファルミアが受けた第一印象である。
 礼の角度や諸処の動作がテラスマント共通の決まりとは違うなどあったが、彼女が礼節を持って振る舞っていたのは明白だった。
 そんな彼女に好感を抱いたのは必然だったのかもしれない。

「三崎兄妹はどう? 想像してたよりも元気だったみたいだけど」
「そうですね。今のところは大丈夫だと思いますが……訓練はもっと厳しくしようと思っています。幸運が二度も続いてくれるとは限りませんから」
「不安が残るようなら、しばらくは出撃を見送ってもいいはずよ? 仕上がりも中途半端なままだと逆によくないと思うの」

 ファルミアの言葉にアルメリアはしっかりと頷いた。
 しかし、現実には多少の不安があっても戦場に送り出さなければならない時もある。
 先日の戦闘もそうであったし、ブロシア基地の戦力が低下している以上、次にエスフィリスが行動を起こしたのならすぐにでも投入せざるをえなくなる可能性は高かった。

「あの人たちには悪いけど、この国にやってきた人たちが、あの人たちで本当によかったと思ってるよ」
「私もです」
「だからこそランブレイの……ううん、この世界のいざこざに巻き込んでしまって悪いと思ってる」

 ファルミアは深く息を吐き出す。彼女の苦しげな表情にアルメリアもまた表情を曇らせていた。
 それに気づいてファルミアはすぐに話題を進める。

「まだ腹案の域を出てないんだけど……ガイナベルク方面の防衛戦力をこっちに回すのはアルとしてはどう思う?」
「ガイナベルクの、ですか? あちらの戦力を移すのはさすがに危険ではありませんか? 停戦機会がまだ一年以上あるとはいえ、ガイナベルクがそれを律儀に守る保障はないんですよ?」
「確かにガイナベルク帝国と皇帝は油断ならない人物だけど、こっちの方面を任されてるキナト第一皇子なら約束を違えるような真似はしないはずよ」
「……だとしても賛成しかねます。ガイナベルクに対する守りはやはり不可欠ではないでしょうか」

 アルメリアの態度はどこか頑なでもある。
 というのも彼女から家族や仲間を奪ったのはガイナベルクの人間だ。だからこそ簡単に気を許せるはずがなかった。
 そして、その事情は多くのランブレイ国民に取っても――ファルミアにとっても同じである。

「そっか……せめてフェイムツェイルの修復が終わってればよかったんだけど」

 ファルミアが口にしたのは、彼女専用のフォースメイルの名だった。
 七機種――近年では古代七機種と呼ばれる機会が増えた、かつてのレイドゥンの長たちを素体として利用して開発されたフォースメイルを指す単語である。
 フェイムツェイルは現在も解放戦争の際に受けた損傷を修復している最中であった。

「今できる部分でやりくりしていくしかないでしょう」
「そうね……それから、これもまだ他言して欲しくないんだけど……約束できる?」
「ファルミア様のお望みならば」
「よろしい。先日、ロッシュアルムから内密に使者が来たわ。彼我同盟は可能かと……その事前交渉にね」
「ロッシュアルム? あの国が……ですか?」
「そう、あの国がね」

 ロッシュアルム王国。
 テラスマント内の六大国の一国であり、国境線は西部がランブレイに、北部がガイナベルクに面し、周囲には中小国が多くより集まっている国家である。
 六大国の中で今なお最も広大な領土を占めているが、六大国の中に限らず産業レベルはそれほど発展しておらず国力も必然的に低い。
 加えて、フォースメイルの開発や生産もほとんど行っておらず、戦力はむしろ貧弱といえた。
 そんな国ではあったが、容易に侵略を許さない理由がロッシュアルムにはあった。
 太古の遺産である特殊機構……特殊処理を施されたフォース以外を完全に無力化する、アンチフォースユニットとでもいうべき機構が存在しているためである。
 これによりフォースメイルを用いた侵略は不可能となっていた。
 加えて大陸内でも有数の騎士団を抱えているので、人間同士の白兵戦に関しては強力な戦力を有している。
 もっともロッシュアルムという国は世界規模の戦争にも不関与を貫いている上に、手出しさえしなければ何もしてこないがために今ではガイナベルクからも見向きされていない節が強い。

「シンシア様はなんと?」
「意図がいまいち読めないから頷きにくい……みたいね。この国の理念に賛同して、らしいけど。確かにロッシュアルムもレイドゥンとの共生を図ってるし、実際にこの国より上手くいってる部分だってある。でも、今まで中立を貫いて戦争を傍観してた国が、今になって動き出した理由がまだ分からないのよ」
「確かに……ちょっと気味が悪いですね」
「それに事前交渉だったからかもしれないけど……書状にはリベラ女王の署名がなかったのよ。国軍や騎士団の重鎮、それから……ロッシュアルムの護り手の署名はされてたけど」
「ロッシュアルムの護り手……確か、セファーナ・クランでしたね?」
「ええ。七機種の一角クリスティーエの搭乗者にして、ロッシュアルム最高の騎士と呼ばれている人物ね。どんな人かは分からないけど」

 アルメリアは何も答えなかった。
 セファーナ・クランや七機種のクリスティーエよりも、ロッシュアルムという国の意図が確かに分からなかったからだ。
 だが、アルメリアはすぐに疑念を振り払った。政治には疎い。
 ロッシュアルムの意図がなんであれ、今は正面のエスフィリスに目を向けなければならなかった。

「今はとにかく耐えるしかありません。私たちには戦力が必要なのは確かで、エステルや三崎兄妹の力も借りなくてはならないのは動かしようのない事実なんですから」
「そうね……まずは目の前から、こなしていくしかないのよね」

 両者は重く溜まったような息を吐き出すしかなかった。
 エリニュスの襲撃によって、戦況は確実に動き始めている。
 この時、エスフィリスの次の一手が下されるまで、すでに一月を切っているのをまだランブレイの人間は誰一人として知らないままだった。















〜 07 襲撃の後先 〜







2008年10月30日 掲載。