第28話

「全く……。お前達のような輩が後を絶たないから困ったものだ。あれほど逃げ出したらどうなるか言っておいてあるというのに、可能性のない未来を選ぶ馬鹿餓鬼共……。ここで訓練を続けていれば、立派な軍人となり、明るい将来を約束されるというのにな……。実に理解しがたい」
 電球が一つ点いているだけの暗い部屋。聞こえてくるのはカミラのすすり泣く声とロムド中佐の足音、そして彼が右手で持っている金槌を左手の掌に打ちつけている音だけである。部屋にいるのはカミラと中佐の他に、一人の兵士がいる。彼はカミラの手をドラム缶の上に押さえつけている。その押さえつけられている手の甲は、赤黒くはれ上がっている。カミラの手は激しく内出血をおこしている。中佐の金槌を自分の掌に打ちつける音が少しずつ大きくなる。兵士がカミラの手を強く抑える。必死にそれを振りほどこうとカミラがもがくが、子供の力が大人の、それも軍事訓練を受けた人間の力に勝てるはずがなかった。不気味なリズムを刻みながら、ロムド中佐がカミラに近づき、彼の手に金槌を勢いよく振り下ろした。その一撃は彼の手から大量の出血を起こさせた。赤くはれ上がっていた部分がつぶれ、そこからは赤黒い血が彼の手を一色に染めていった。金槌をカミラの手からゆっくりと引き離す。それにも赤黒い血が付着している。そこからポタポタと流れ落ち、床に「汚れ」を作っていく。あまりの痛みに悲痛な叫び声をあげる。その声は部屋中に響き渡り、壁の向こう側にいるダリ達の耳にも確実に届いている。痛みが少し和らぎ、カミラは涙目でロムド中佐を見上げた。電灯の光のせいで、ロムド中佐はまるでシルエットのような存在になっているが、それが逆に不気味だった。
「お前をさらってきた奴の言っていた情報によると、お前は母親から酷い虐待を受けていたらしいな? 煙草の火を腹に押し付けられ、顔を殴られ、無茶な労働を強いられる毎日。ここでの生活がまるで天国に見えるとは思わないか、カミラ=ゲイレド?」
 ロムド中佐の言葉にもカミラは耳を貸さず、ただ泣いているだけである。それを見た中佐の表情が微かに引きつった。
「そのような地獄から救い出してやったというのに、ここから逃げ出そうとするとは一体どういう了見だ!?」
 再び金槌が勢いよく振り下ろされた。カミラの手は見るに耐えないものに変貌してしまっている。ロムド中佐が興奮のあまり息を切らしている。するとロムド中佐は金槌を放り投げた。それを見たカミラは胸を撫で下ろした。しかし、彼の考えは甘かった。兵士がカミラを壁に取り付けられている拘束具につれていき、カミラの手足に鉄輪をつけ、彼を拘束した。その兵士はその作業を終えると、壁によりかけていた自分のAKをロムド中佐に手渡した。
「お前の拷問の相手をするのも終わりだ。後は先にここからいなくなった、お前の友人や他の子供達と仲良くしてこい。今からその切符と電車賃をお前に渡してやろう。遠慮せずに受け取れ」
 カミラが必死に拘束具から脱出しようと試みるが、大人の力でも外せない鉄輪を子供の力で外せるはずがなかった。涙が出てこない。既に涙腺が枯れるほど涙を流し続けたから。声も出てこない。既に喉が痛くなるほど叫びつくしたから。血も流れ出ない。恐怖で血の気が引いてしまっているから。
「ダリ!」

 子供達の寝室の向こう側から銃声が聞こえてくる。全員がその音に身を強張らせ、お互いがお互いの顔を見る。ダリは、一瞬自分の名前が叫ばれたように思えたが、銃声によってかき消されてしまい、戸惑いを隠せずにいた。今の声は一体何だったのだろうか。そして、そのすぐ後に聞こえてきた銃声、ここで生活している者ならば、何が起きたのかは明白であった。
 子供達が再びベッドに身を預ける。ダリもそれに続くが、気が気でなかった。そして、近い将来に、自分が自分でなくなってしまうような気がしていた。理由もなく、何故かはわからなかった。その不安を胸に抱いたまま、ダリは目を閉じた。